Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2008/11/05

「White Writing」──『鉄の時代』こぼれ話(4)

 クッツェーは『鉄の時代』を書きながら、じつは、南アフリカの白人文学についてエッセイを書いていた。1988年にイェール大学出版局から出る「ホワイト・ライティング/White Writing」である。
 1652年にアフリカ大陸南端の喜望峰にヨーロッパ人がはじめて植民地をつくってから、ヨーロッパ系植民者がどのような視点から文学を紡ぎだしてきたか、それを詩や、農場を舞台にした小説を具体的に論じながら解明した。そして、植民者たちがどのような人間的退廃をたどっていったかを明らかにしたのだ。
 クッツェーの結論は次のようなものだった。

「最終的にそういわざるをえないのは、アフリカにおける静寂と空漠との出会いを言祝ぐ詩のなかには、それまで、たとえ人間がひしめいていたわけではないにしろ、空っぽではなかったひとつの土地を静寂と空漠の土地と見なそうとする、そんな確かな歴史的意志があると読み取らないわけにはいかないことだ。そこは乾燥し、不毛であったかもしれないが、人間の生活に適さなかったわけではなく、もちろん、人が住んでいなかったわけでもない。ウィリアム・バーチェルからローレンス・ヴァン・デル・ポストまで、植民地支配のために書かれたものは、ブッシュマンを南アフリカのもっとも真正な先住民と見なしてきた。だが、そのロマンスはまさに、ブッシュマンが滅びゆく種族に属していることにあった。公式の歴史文書は長いあいだ、19世紀のキリスト教の時代まで、われわれが現在南アフリカと呼んでいる内陸がいかに無人であったかという物語を伝えてきた。空っぽの空間を詠う詩はいつの日か、同様のフィクションをさらに発展させたことで、告発されることになるかもしれない」

 植民地化された土地に対するこの見方は、『鉄の時代』のなかで一枚の写真をめぐって主人公エリザベス・カレンが述べることばとも響きあう。花壇の前で肩から幼児用ベルトをつけた幼い姿で、母や兄といっしょに撮影された写真。その写真の枠外にいる者たちのことを語る部分だ。
 クッツェーのこの視点は、オーストラリアへ移住したあとも「人はだれしも、出自に関係なく、新たに自分の住むことになった国の歴史上の過去を、自分のものとして受け入れる義務があるのだ──たとえ漠としたものであっても」と述べることばへとつながっていく。