Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2008/11/22

オーストラリア/アジア文学賞はデイヴィッド・マルーフに

 昨夜(2008年11月21日)、オーストラリアのパースで、第一回オーストラリア/アジア文学賞の受賞者が発表された。そして(わが密かなる予想/希望どおり)デイヴィッド・マルーフ/David Malouf の短篇集/The Complete Stories(Vingate, 2008)が受賞した。
 私がこの作家を知ったのはまったくの偶然。今年3月、アデレードで開かれたライターズ・ウィークで J・M・クッツェーがマルーフを紹介する場面を観たからだ。その数カ月後には日本でも、現代のオーストラリア社会を映す短篇小説集「ダイヤモンド・ドッグ」(現代企画室)が出版され、彼の短篇「キョーグル線」が日本語で読めるようになった。
 マルーフは1934年、クイーンズランド州ブリスベンで、レバノンから移民したキリスト教徒の父とポルトガルに祖先をもつユダヤ系イギリス人の母とのあいだに生まれている。「キョーグル線」はマルーフが少年時代に父と汽車で旅をしたときの記憶をもとに書かれた短篇で、第二次世界大戦後のオーストラリアで捕虜となった3人の日本兵が出てくる。彼らの姿が当時の人々の目に、あるいは少年の目にどんなふうに写ったか、これは現代の日本人が読むとなかなかの衝撃ではないかと思う。
 
 リンクしたシドニー・モーニングヘラルド紙には(この記事のタイトルをクリック!)、第一回の受賞を喜ぶマルーフのことばも載っているが、面白いのは、この賞がオーストラリアだけでなくアジアをも射程に入れていることだ。ロングリストには村上春樹の『アフターダーク』も顔を見せていた。でも、なんといっても注目したいのは受賞時のマルーフの次のようなコメント:オーストラリアの賞のなかでも、このようにアジアを射程に入れたものは初めてで、ややもすると内向きになって国内にばかり目をやりがちなわれわれが、外に目を向けているのはとても良いことだ。

 作品が、きわめてローカル色の強いものでありながら、狭いナショナリティを超えて外に開かれていること。世界文学としていま求められているのは、それかもしれない。
 とにもかくにも、デイヴィッド・マルーフの作品がマルーフ短編集という形で、おいしい日本語でまとめて読める日がくるといいなあ!!