Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2008/09/19

翻訳をめぐる名言「ゲラが火事になった!」

1980年代なかばだったでしょうか、いや、1990年代初めだったかもしれません。その人の口からじかに聞いて以来、翻訳に対する心構えとして、肝に銘じていることばがあります。

 それは、1975年にリチャード・ブローティガンの『アメリカの鱒釣り』を訳し、斬新な翻訳文体で日本の翻訳文学にまったく新しい風を吹き込んだ、藤本和子さんのことばです。

 「翻訳はどのようなコンテキストで紹介されるかが生命」

 だから、解説はとても重要な要素ということになるでしょうか。
 2008年5月に青山ブックセンターで行われたトークショーで、新潮文庫に入った『芝生の復讐』について語りながら、「ゲラが火事になった」とおっしゃったのが印象的でした。つまり、朱が入って真っ赤になったという意味です。「だって、間違いだってわかったものを、訂正しないわけないはいかないでしょ」とも。
 文庫化にあたって、あの大先輩の翻訳家は、細部におよぶ微妙な朱入れを、徹底的にやる姿勢をいまも崩していない。その真摯な姿勢は感動的でした。

2008/09/09

『鉄の時代』できました!

できあがりました!

もうすぐ本屋さんにならびます。
帯の挿画はタダジュンさんの銅板画。
初めて見るのに、なにかを思い出す、
記憶にじんわり沁み入るような、
不思議は感じの絵です。

(池澤夏樹個人編集 世界文学全集第1期11巻、河出書房新社刊、2008)

2008/09/08

トロント国際映画祭で『Disgrace/恥辱』プレミア上映

現地時間で9月6日夕刻、J.M.クッツェーの原作をもとにした映画『Disgrace/恥辱』が初公開されました。

写真左から、デイヴィッド・ルーリー役のジョン・マルコヴィッチ、脚本のアナ=マリア・モンティセッリ、ルーシー役のジェシカ・ヘインズ、監督のスティーヴ・ジェイコブズ。

詳しくはこちらで、
http://tiff08.ca/filmsandschedules/films/disgrace

写真は、
http://uk.news.yahoo.com/ap/20080907/img/pen-toronto-film-festival-d-60eec7f4b187.html

記事は、
http://www.theaustralian.news.com.au/story/0,25197,24309727-5013404,00.html

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早く観たい!!!!──エスペランサのつぶやき

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追記(2008.9.13):「インターナショナル・ヘラルド・トリビューン」にこの映画の評(Joan Dupont 記者)が載りました。そのなかでクッツェーがこの映画について述べたコメントが引用されています。

「スティーヴ・ジェイコブズは、南アフリカという大きな風景のなかに物語を溶け込ませることに巧く成功している。中心となる俳優たちは力強く、考え抜いた演技をしている」

ますます楽しみになってきました。その記事によれば、すでに配給権は南アフリカをはじめ、ヨーロッパ各国、トルコ、イスラエル、ブラジル、メキシコに売れたと伝えられています。日本の配給会社も早く買ってください!

2008/09/04

9月6日のNHK週刊ブックレビューに

明後日の9月6日、午前8時半から放映のNHK衛生第2放送の番組、「週刊ブックレビュー」に出ます。(再放映は翌7日午後11時45分からです。)
今日、無事に収録が終わりました。ほっ。一押しに紹介した本は、エイミー・ベンダー著/管啓次郎訳『わがままなやつら』(角川書店刊)です。

 ほかにも、リチャード・ブローティガン著/藤本和子訳『芝生の復讐』(新潮文庫)と、安東次男句集『』(ふらんす堂刊)を紹介しました。

 ごいっしょしたのは、作家の高橋源一郎さんと、資生堂名誉会長の福原義春さん。始るまではどきどきしましたが、なかなか楽しい収録でした。

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J.M.クッツェー著/拙訳『鉄の時代』の表紙がついにアップされました。
どうぞこちらへ

2008/09/03

「薄明かりの時間」

今月の「水牛のように」に素敵なことばが載っています。

 高橋悠治さんの「連続し高揚する運動ではなく 一音一音のあいだに静寂が煙っている薄明りの時間」ということばです。

 とりわけ「静寂が煙っている薄明かりの時間」という表現が素敵。思わず、こうして書き写してしまいました。

 「Le crépuscule du matin/朝の薄明」とか「Le crépuscule du soir/夕べの薄明」 とか、ボードレールの詩も思い出されて──。