Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2008/04/28

Time of the Writer Festival

 毎年3月になると、南アフリカのダーバン市で「タイム・オブ・ザ・ライター」というフェスティバルが開かれる。今年も3月25日から6日間にわたって開催されたこのフェスティバルは、1998年からはじまり、すでに11回目を迎える。今年は10カ国から18人の作家が参加した。(これまでの参加者の顔ぶれを見ると、現在活躍中のアフリカ文学者のほぼすべてをカバーできるほどだ、というとちょっと大げさかもしれないけれど、その顔ぶれはすごい。なんといっても開催国である南アフリカが圧倒的に多いけれど、マグレブを含むアフリカ在住の作家や詩人はもちろん、アフリカ出身で他国に住む人や、カリブ海系のマリーズ・コンデやエドゥアール・グリッサン、インドのアルンダティ・ロイまで含まれている。)

 今年のオープニングは10年前の第1回とおなじ、ブライテン・ブライテンバッハ。彼は、アフリカーンス語を第一言語とする南アフリカの詩人・作家で、その詩はきわめて高く評価されてきた。アパルトヘイト時代には投獄され、長期にわたって国外追放されたことはつとに有名。しかし、英語で書かれた近作「A Veil of Footsteps/足跡のヴェール」の評はどうも芳しくない。使われた言語のせいかもしれない。

 今年の参加者は南アフリカをはじめ、ケニアの詩人シェリア・パテル、モーリシャスの作家アナンダ・デヴィ、コンゴ出身のフランス語で書く劇作家エマニュエル・ドンガラ、アンゴラ出身で南アに移民した作家シマオ・キカンバなど、どちらかというと南東部アフリカ出身者が多い。

 面白いのは彼らの経歴。大学で学んだものに、有機農業とか文化人類学といった項目がならぶのだ。大学で文学を学んでも、食べていくためのキャリアにはなりにくいからだろう。

 大会最終日を飾ったのは、オーストラリア出身のジャーナリスト、ジョン・ピルジャー。カンボジアのポルポト政権下で行われた虐殺をルポした「ゼロ・イヤー」をはじめ、すぐれたドキュメンタリーを手がけてきた人だ。

 こうして見ると「ライター」というとき、そこには日本語の「作家」よりぐんと幅の広い意味が込められていることがわかる。詩や小説や文芸評論を書くだけではなく、ジャーナリストとしてドキュメンタリーを手がけたり、劇作をしたり、さまざまなジャンルで「ことばを書く」こと、「ことばで伝える」ことを仕事としている人たちが集うフェスティヴァル。

 このような、国境、人種、性別、年齢、言語をこえて形成される、風通しのよいネットワークを基礎とするコミュニティーは、とても魅力的だ。喜んで、そのすそ野に加わりたいと思わせるものがある。
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☆2008.4.22北海道新聞夕刊のコラム記事に加筆しました。

2008/04/21

ローレルの花

 今年はめずらしくローレル(月桂樹)の花が咲いた。いまの住居に引っ越したのが秋だったので、翌春まで待って移植した。丈がまだ1メートルほどの、根元から二股に分かれた細い木だった。
 そのうちの1本はその翌年の春、円盤のように回転する電動芝刈り機に、根元部分の樹皮をぐるり剥かれてしまい、しばらくしてから葉が黄ばんできて、だんだん枯れていった。樹皮を剥ぎ取られた部分を軽く押すと、ポキリと折れた。いくら太陽と水分の恵みがあっても、維管束部分をやられると生命を維持することはできない。それでも、折れた細い幹の下部からつぎつぎと新芽が出て、いまも上へ上へと伸びている。

 今年花が咲いたのは、無事だったもう1本のほうの幹に伸びた枝だ。すでに2メートル以上の高さになった。移植からちょうど4年目の春、花が咲いたことになる。
 とてもかわいらしい、半透明のちいさな花。花弁が4枚。花のまんなかに黄緑色の、こんもりとした花芯がある。

2008/04/17

好きな本(6)『アフリカン・アメリカン文化の誕生』その3

 初めて藤本和子氏の編集した「北米黒人女性作家選」という7冊からなるシリーズに出会ったのは、1982年ころだったと思う。それはトニ・モリスン、アリス・ウォーカー、ヌトザケ・シャンゲ、ミシェル・ウォレス、ゾラ・ニール・ハーストンといった、いまでは個別に何冊も訳書がある作家たちの作品を、まとまったかたちで初めて読むことができた選集だった。わたしは大きな感銘と衝撃を受けた。アフリカン・アメリカンという集団としての経験と記憶に関連づけて、北米の黒人女性作家を紹介する画期的なこの選集には、きわめてすぐれた特徴があった。巻末に、読者の理解を助けるための、編者による味わい深い解説、女たちの同時代(左をクリックすると「水牛の本棚」でその全文が読めます!! )がついていただけでなく、個々の作品を読んだ日本の女性作家たちの同時代的な共感をあらわす文もついていて、読者がより立体的に、作品世界と向き合えるようになっていたのだ。(女性作家たちとは、津島佑子、森崎和江、石牟礼道子、矢島翠、ヤマグチフミコ、堀場清子だった。)

 まさに書物は紙の鏡。わたしたちは読むことによって、1冊の本をおもしろいといって消費するだけでなく、自分の顔を、精神構造を、そこに映し出すこともできるということを、あらためて教えてくれる選集だった。それら作品群が問いかけてきたのは、他者=異なる者ときちんと向き合うことだった。クレオール主義とか、ポストコロニアル文学といったことばが出まわる、はるか以前のことである。(この選集が出たのは1981、82年。)

アフリカン・アメリカン文化の誕生』で藤本氏は、当時77歳の高名な人類学者の話を聞き、その内容をもとに日本語の本を編むという離れ業をやってのけた。そして、北米黒人女性作家選の作品世界をつらぬくアフリカン・アメリカン文化の本質とでもいうべきものを、日本の読者の前に、とてもわかりやすいことばで開いて見せてくれた。その結果、じつに内容の濃い、専門的な知識に、だれもがアクセスできる本が誕生したのだ。
 わずか250ページあまりを読み終えるまでに、わたしは、目から鱗が何枚も落ちた。(了)
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 出版からすでに8年がたちました。文句なく、このジャンルの入門書として最適の書なので、1日も早く、ハンディな文庫になることを期待します。

2008/04/16

好きな本(5)『アフリカン・アメリカン文化の誕生』その2

 このシドニー・ミンツ著・藤本和子編訳『アフリカン・アメリカン文化の誕生──カリブ海域黒人の生きるための闘い』(岩波書店、2000刊)は藤本和子氏が聞き手となって、その師である人類学者シドニー・ミンツが語る、いわゆる聞き書きだ。だから、示唆に富んだ深い内容が、とても読みやすく読者に伝わってくる。
 プロローグから少し引用しよう。
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ミンツ──「まずアフリカン・アメリカン文化という語は南北アメリカ大陸とカリブ海諸島など、アメリカス全域におけるアフリカン・アメリカン文化を指すことを、読者のためにはっきりさせておこう。アメリカ合衆国のことだけだと解釈されることがよくあるからね…西半球のいわゆる「新世界」へ、つまりヨーロッパから見ての「新世界」へ強制連行されてきて奴隷という身分にされたアフリカの人びととその子孫が、アフリカン・アメリカン文化という、それまでは存在しなかった全くあたらしい文化を生みだしたことの根底にあるのはなにかということ。

 ひと言でいえば、根底にあったのは、人間として生きのびる、という強い意志だった。人間は生きる意味がわからなくては、生きていけない。生きる意味を失った集団が死に絶えたという例さえあったものね。
 人間として生きのびてみせたこと、それ自体が抵抗だった。生きのびることそのものが抵抗だった。そのためには、創造力と偉大な人間性が必要とされた。」(プロローグより)

 この最後の部分を読みながらわたしは、咄嗟にトニ・モリスンの小説『ビラヴド』の一場面を思い出した。追っ手に発見された逃亡奴隷である主人公が、捕われる直前に自分の赤ん坊を殺す場面だ。モリスンは、実際に起きたある事件を報道する写真を見て、この作品を書くことを思いついたという。写真にうつった女性の表情がじつに晴れやかだったのだ。元奴隷の女性が自分の赤ん坊を殺し、その行為になんらやましさを覚えない、そのことの意味を理解する手がかりが、この文には含まれているのではないか、と思ったのだ。(つづく

2008/04/15

好きな本(4)『アフリカン・アメリカン文化の誕生』その1

 あらためて『アフリカン・アメリカン文化の誕生──カリブ海域黒人の生きるための闘い』シドニー・ミンツ著・藤本和子編訳(岩波書店、2000刊)を紹介します。これは「アフリカン・アメリカン文化」やその歴史を知りたいと思う人には格好の入門書であると同時に、「16世紀から20世紀半ばにかけて実施されたヨーロッパ拡張期の歴史」を学ぼうとする人の必読書です。8年も前に書いた書評ですので(少し手を加えましたが)、そんな読み方は古いよ、だれもが知ってる基本的な知識だよ、といわれるようになっていることを願って・・・。
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 たとえば日本語で「アメリカ」とか「アメリカ人」ということばを聞くと、まず何をイメージするだろうか。ほとんどの人が間違いなく「アメリカ合州国」と「その国の人びと」のことを思い浮かべるだろう。では「アフリカン・アメリカン」はどうか。「アメリカ合州国の黒人」と考えるのではないだろうか。それほどまでに私たちの意識のなかの「アメリカ=アメリカ合州国」観は肥大化している。この視点の偏りを、本書は見事にくつがえしてくれる。

 1492年にコロンブスによって「発見」された「新世界=アメリカス」へ、ヨーロッパ大陸の列強が乗り込んでいったとき、足がかりとしたのがカリブ海の島々だった。「そこで先住民を疫病と戦争によって絶やし、アフリカから膨大な数にのぼるアフリカ人を強制連行してきて奴隷にし、おもに食料とそれに近い物を生産するようになった」といった歴史的事実を並べても、「そんなこと知ってるよ、何をいまさら」という反応が返ってきそうだが、私たちのその知ってるつもり、分かっているつもりの内実には、じつは何かが決定的に欠けているのではないか、この本を読んだ後そんな思いにとらわれている。

 この本は、つい数十年前に学校の教科書で学んだヨーロッパ中心の、ゆがんだレンズを通して見る世界史ではなくて、もう一度、私たちが生きているこの社会の、「国家」という枠組みの、あるいは「民族」とか「文化」とか「人種」といった、分かったようでいてじつはとんでもなく偏見に満ちた理解の仕方しかしていない危ういことばの内実を、丁寧に、平明に、思わぬ視点から解き明かしてくれるのだ。それも、カリブ海社会をフィールドにした人類学の専門家シドニー・W・ミンツ氏の、豊富な実証例に裏づけられた、深い洞察に満ちたことばによって。少し引用してみよう。(つづく

2008/04/03

26人のノーベル賞受賞者によるメッセージ

26人のノーベル賞受賞者が2008年3月20日、中国政府のチベットへの軍事行動に対して、以下のようなメッセージを出しました。いま翻訳作業中の『鉄の時代』の作者、J・M・クッツェー氏の名前もあります。
以下に転載いたします。(英文は末尾に。)
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<声明文>

以下に署名したノーベル賞受賞者は、中国政府がチベット人デモ抗議者に対して行なっている武力弾圧を大変遺憾に思い、非難します。

私たちは、武器を持たず、平和的に示威行動を行なっているチベット人に対する武力行使を、中国当局が制止することを、強く求めます。

私たちは、中国政府が、私たちの仲間であるノーベル賞受賞者、ダライ・ラマ法王に対して行なっている、不当な軍事行動に抗議します。中国政府が繰り返しおこなってきた主張とは逆に、ダライ・ラマが求めているのは、中国からの分離ではなく、宗教的かつ文化的な自治です。この自治は、古くからチベットに伝えられてきた遺産を保存するためには、必須のものです。

チベット問題が平和的に、しかも、中国とチベットの双方にとって有益な解決を達成するために、できるだけ早く中国政府がダライ・ラマの特使との対話を再開することを、私たちは要求します。


アレクセイ・アブリコソフ(2003年ノーベル物理学賞受賞)
ピーター・アグレ(2003年ノーベル化学賞受賞)
バルーフ・ベナセラフ(1980年ノーベル生理学・医学賞受賞)
ギュンター・ブローベル(1999年ノーベル生理学・医学賞受賞)
アルヴィド・カールソン(2000年ノーベル生理学・医学賞受賞)
ジョン・クッツェー(2003年ノーベル文学賞受賞)
パウル・J・クルッツェン(1995年ノーベル化学賞受賞)
クライヴ・W.J.グレンジャー(2003年ノーベル経済学賞受賞)
パウル・グリーンガード(2000年ノーベル生理学・医学賞受賞)
アブラム・ハーシュコ(2004年ノーベル化学賞受賞)
ロアルド・ホフマン(1981年ノーベル化学賞受賞)
ジョン・ヒューム(1998年ノーベル平和賞受賞)
ブライアン・D・ジョゼフソン(1973年ノーベル物理学賞受賞)
エリック・R・カンデル(2000年ノーベル生理学・医学賞受賞)
ロジャー・コーンバーグ(2006年ノーベル生理学・医学賞受賞)
フィン・キドランド(2004年ノーベル経済学賞受賞)
エルヴィン・ネーアー(1991年ノーベル生理学・医学賞受賞)
ジョン・C・ポラニ(1986年ノーベル化学賞受賞)
H・デビッド・ポリツァー(2004年ノーベル物理学賞受賞)
リチャード・J・ロバーツ(1993年ノーベル生理学・医学賞受賞)
フィリップ・A・シャープ(1993年ノーベル生理学・医学賞受賞)
イェンス・C・スコウ(1997年ノーベル化学賞受賞)
ウォーレ・ショインカ(1986年ノーベル文学賞受賞)
エリ・ヴィーゼル(1986年ノーベル平和賞受賞)
トルステン・N・ヴィーゼル(1981年ノーベル生理学・医学賞受賞)
ベティ・ウィリアムズ(1976年ノーベル平和賞受賞)

****** 原文は以下の通り *****

(Following is the full text and the names of the Laureates who signed it.)

We, the undersigned Nobel Laureates, deplore and condemn the Chinese government's violent crackdown on Tibetan protestors. We urge the Chinese authorities to exercise restraint in dealing with these unarmed, peaceful demonstrators.

We protest the unwarranted campaign waged by the Chinese government against our fellow Nobel Laureate, His Holiness the Dalai Lama. Contrary to the repeated claims of Chinese authorities, the Dalai Lama does not seek separation from China, but religious and cultural autonomy. This autonomy is fundamental to the preservation of the ancient Tibetan heritage.

We call upon the Chinese government to resume talks with the Dalai Lama's representatives as soon as possible in order to achieve a peaceful and mutually beneficial solution to the Tibetan issue.

Alexei Abrikosov,Nobel Prize, Physics (2003)

Peter Agre, Nobel Prize, Chemistry (2003)

Baruj Benacerraf, Nobel Prize, Medicine (1980)

Günter Blobel, Nobel Prize, Medicine (1999)

Arvid Carlsson, Nobel Prize, Medicine (2000)

John Coetzee, Nobel Prize, Literature (2003)

Paul J. Crutzen, Nobel Prize, Chemistry (1995)

Clive W.J. Granger, Nobel Prize, Economics (2003)

Paul Greengard, Nobel Prize, Medicine (2000)

Avram Hershko, Nobel Prize, Chemistry (2004)

Roald Hoffman, Nobel Prize, Chemistry (1981)

John Hume, Nobel Prize, Peace (1998)

Brian D. Josephson, Nobel Prize, Physics (1973)

Eric R. Kandel, Nobel Prize, Medicine (2000)

Roger Kornberg, Nobel Prize, Chemistry (2006)

Finn E. Kydland, Nobel Prize, Economics (2004)

Erwin Neher, Nobel Prize, Medicine (1991)

John C. Polanyi, Nobel Prize, Chemistry (1986)

H. David Politzer, Nobel Prize, Physics (2004)

Richard J. Roberts, Nobel Prize, Medicine (1993)

Phillip A. Sharp, Nobel Prize, Medicine (1993)

Jens C. Skou, Nobel Prize, Chemistry (1997)

Wole Soyinka, Nobel Prize, Literature (1986)

Elie Wiesel, Nobel Prize, Peace (1986)

Torsten N. Wiesel, Nobel Prize, Medicine (1981)

Betty Williams, Nobel Prize, Peace (1976)