2018/02/18

パリジェンヌ展──これはジェンダーの歴史展かも!

昨日は、世田谷美術館の「パリジェンヌ展」へ行ってきた。24日(土曜)のトークイベントの打ち合わせ。展覧会も、打ち合わせも、サイコーに面白かった。

 ボストン美術館所蔵の美術品から、選ばれた絵画、版画、写真、ポストカード、ドレス、繻子の靴、オリエンタル調のジャガード織りのショールなど約120点が展示されていた。
 見渡せるのは、18世紀からフランス革命後ナポレオンの帝政期をへて、19世紀は花のパリ時代(憂鬱な都会生活を描いたボードレールの時代)から喧騒の1920-30年代を通り過ぎて1965年まで。キーワードは「パリジェンヌ」だ。
 キュレーターの塚田美紀さんとあれこれ話をしているうちに、これはある種のジェンダーの歴史展かもね、という話になった。

 展覧会はあくまで「ボストン」から見た「パリとパリジェンヌ」であり、そこには旧植民地アメリカから文化の華と見える大西洋の向こう側、パリへの遠い憧れが色濃く滲み出ている。そこで、憧れの方向性について考えてみた。
 最初の視線はオリエンタリズム、パリから見た異国への憧れだ。もうひとつは、その「憧れ」を文化内に含む「パリという華やかな大都会」に対するボストン側からの憧れ。そして三つ目も加えてみよう。その双方向の「憧れ」を、東アジアの日本という土地から見ている私たちが、いまここにいるという関係も。というふうに考えてみると、とても面白い展示になっているのだ。

 性には禁欲的なピューリタンの保守的市民社会からすれば、ボードレールの『悪の華』が表現する世界は、カトリック世界以上に、途方もない「禁断の木の実」と見なされただろう。ボストンの富裕な女性たちは、パリから取り寄せたドレスを、2、3年寝かせておいて、華美な装飾をはぶいて(カスタマイズして)から身につけたという、涙ぐましいエピソードも紹介されている。

ボードレールのミューズ、J・デュヴァル
う〜ん、なんか先ごろメディアを賑わしている、ハリウッド映画界の大物セクハラ・レイプ問題で世界的な話題となっている#metoo 運動と、カトリーヌ・ドヌーヴらの「言い寄られる自由」宣言とそれに対する反論などとも響きあうような、あわないような、ビミョーな双方向視線が、ここにはありそうな──。

 19世紀に始まった「万国博覧会」とは資本主義経済が世界を席巻する皮切りになったイベントだったが、その近代の価値観のなかでもっとも魅力的な、不可欠な要素となったのが「エキゾチシズム」だった。すでにアフリカやカリブ、アメリカス、オーストラリアなど、広く植民地を「開拓」していたヨーロッパ諸国には、だから、褐色の肌の人たちはたくさんいたはずだ。見えないニンゲンとして。

ジョセフィン・ベイカー
ヨーロッパ男性の強烈な性的「憧れ」の対象となった褐色の肌の女たち、ブラックビーナスというファンタジーもまた興味深い。『鏡のなかのボードレール』の著者であるわたしの役割は、褐色の肌をしたパリジェンヌについて語ることだ。

 しかし昨日、展示を見て思わず吹き出してしまったのが、ガートルード・スタインの「自画像」をうたう一点。それは彼女の親しい友人が撮影したという白黒写真で、さて、そこに写っているのは? これが傑作。スタインは、ご存知、1903年からパリに移り住んだユダヤ系のアメリカ人作家。れっきとしたパリジェンヌである。ヘミングウェイたちに「きみたちはロスト・ジェネレーションね」といったことでも有名な人だが、そのポートレートやいかに? もしも隣にピカソが彼女を描いた有名な肖像画がならんでいたら、もっと面白かったかも、、、


 最初は日差しも温かく春めいた陽気だったのに、時の経つのを忘れて打ち合わせをしているうちに、夕方から雲行きがあやしくなって、冷たい風がひゅうひゅう吹いてきた。でも、家にたどりついてから、24日(土曜日)午後2時からのイベントの中身がくっきりしてきた。う〜ん、いよいよ楽しみになってきた。

 入場無料で、13時から整理券を出すそうです。ぜひ!

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追記:すみません! 展示品の数などを勘違いしていたので、訂正しました。
  

2018/02/09

Happy Birthday, John!

今日は、J・M・クッツェーの78回目の誕生日です。

 お誕生日おめでとう!

カルタヘナで、Jan. 2018

ケープタウンのモーブリーにある産院で、
78年前の暑い季節にあなたは生まれた。

 人は生まれる場所も、生まれる時代も選ぶことはできない、とあなたは言った。そのことばでどれほど多くの人が、少しだけ自分の肩から荷をおろすことができたか。
人は生まれてくるとき、その親を選ぶこともできない、とあなたは言った。そのことばでどれほど多くの人が、こうしていま自分がこの世にあることには、どう努力しても自分の力だけでは変えられない部分があるのだと認めることができた。
ならば、その立脚点から最善を尽くせばいいと知ったのだ。
それは諦めにも似ているけれど、それだけではない。

 もちろん、特権的な立場にいることに盲目であっていいわけはない。ヨーロッパ系の、白人で、男性であるあなたは、その盲目性をとことん自問する作品を書いてきたように、私には思える。恵まれないと思ってきた自分が、広い視野から見てみれば、相対的には恵まれた立場にあることに気づかせてくれる、
その「広い視野」へ出ることをあなたの作品群は教えてくれるのだ。

 作家としてのあなたの姿勢は、
必要以上の富をもとめる強欲が地表をおおう、この心の氷河期に、
希望という埋み火を、個々人の胸のうちに掘り起こそうとする営みに似ている。

 Muchas gracias, John Coetzee!

2018/02/01

The Dog を朗読するクッツェー

カルタヘナでの文学祭で、3月に新刊としてスペイン語版が出版される Siete Cuentos Morales から「The Dog」を朗読するJMクッツェーの動画です。



交互にスペイン語と英語で朗読しています。ちなみに、わざわざ最初に Allow me to introduce myself.  My name is John Coetzee. と自己紹介していますが、これが去年秋にイギリスで話題になったものの、その場での明言は避けたと伝えられる、彼のファミリーネームをめぐる疑問への「答え」となっています。耳を傾けてください。やっぱり「クッツェー」ですね。

WMagazin という雑誌に掲載された記事はこちら
そこに Siete Cuentos Morales のカバー写真がアップされていたので、ついでに、ここに貼り付けておこう。訳者名は:Elena Marengo です。


2018/01/28

カルタヘナのクッツェー:越境につぐ越境

27日、カルタヘナの文学祭でステージにあがったJMクッツェーは、スペイン語でイントロを少しやって、1999年に初めて書籍のなかに登場したエリザベス・コステロの履歴とその書籍がまとめられたいきさつを述べた。

 文学祭アカウントがtwitter でアップしたコメントによると(付記:2018.1.30──twitter 上ではなく、webの記事に基づいてできるだけ正確な表現に変えました)、クッツェーはこんなことを言ったようだ。『ヒア・アンド・ナウ』でもすでに述べていたことだけれど(ここでも触れました)、彼がこのところスペイン語圏で、それもアメリカスのスペイン語圏で活躍する理由が、ここから判断できるだろう。


・わたしは英語で作品を書いてきたが、英語が自分の言語だと思ったことはない。

・わたしは英語が世界を占有するやり方が好きではない。英語が、マイナーな言語が独自にやっていこうとするのを押しつぶすやり方が好きではない。英語がもっとも普遍的であるかのようなふりをすること、つまり、世界とは英語という言語の鏡に映るものであると疑いもしない考えが好きではない。


 クッツェーという作家は、スペイン語圏へ足しげくおもむいて、それも、西側というか北側を「中心に」まわっている創作、出版活動からできるかぎり距離を置いた地点から発信する方法を選んでいる。南アフリカという生地から外へ、国境はすでに超えた。アパルトヘイトからの解放についても「一国だけの解放」に興味はない、と明言して周囲を驚かせたクッツェーは、いま、言語の境界を内部から超えようとしている。

 小さなアフリカーナー社会から広い世界へ出ていくために両親が(とりわけ母親が)家庭では英語を使い、英語で教育を受けさせた結果、クッツェーは英語で書いてきたし、おもに英語を使って生きることになった。しかし、人間として、作家として心身の内部に染み渡るその言語が、いまも自分の言語のように思えない──という。これはどういうことか?
 彼の姿は、まるで自分の胸を切り裂いて、子供たちに餌として食べさせるペリカンの母のようにさえ見えてきた。これはクッツェーがよく用いる例なのだけれど。

 ちなみに写真の左手に座っている女性は、ブエノスアイレスの出版社「アリアドネの糸」の編集者(MALBAのディレクターでもある)ソレダード・コンスタンティーニさん。クッツェーが英語で読んだテクスト「The Dog」を、スペイン語で読んだようだ。その短編を含む新刊書 Siete Cuentos Morales ももうすぐ出るらしい──どうやら3月発売のようだ。


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付記:2018.2.4──El Pais に掲載された記事によれば、27日は文学祭のステージで、28日はカルタヘナ市内の書店で、それぞれコンサンティーニさんと二人で「朗読」と「トーク」(サイン会も)を行ったそうだ。上の投稿にはその2つの内容が混在していることをお断りしておきます。

2018/01/27

アディーチェ:ナイジェリアの書店について、図書館ではなく

1月25日の夜、パリで「思想の夜」というイベントのこけら落としにチママンダ・ンゴズィ・アディーチェのインタビューが行われ、その動画を昨日ここにもアップしましたが、質問の内容が物議をかもしているようです。
 それについてアディーチェ自身がfacebookに、以下のような文章を投稿しています。
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フランス人ジャーナリスト:ナイジェリアであなたの本は読まれていますか?
アディーチェ:はい。
仏ジャーナリスト:ナイジェリアに書店はありますか?
アディーチェ:はあ?
仏ジャーナリスト:こんな質問をするのは、フランスの人たちが知らないからです。彼らはボコ・ハラムのことしか知りませんので。
アディーチェ:なんというか、あなたがその質問をするのは、フランスの人たちのことをきちんと表していないと思いますよ。

上のやりとりは、すばらしい「思想の夜」というイベントのこけら落としに、昨日パリで行われたインタビューからの、わたしが覚えている抜粋です。
どうやら、フランス語の「librairie」が、本当はbookshopのことなのに、英語の「library」(図書館)と誤訳されたようです。

フランスの人がナイジェリアのほとんどすべてを知っていると、わたしは期待していません。わたしもフランスのほとんどすべてを知っているわけではありません。でも、「フランスの人たちに、ナイジェリアには書店があると言ってください、彼らは知らないから」という質問は、故意による後ろ向きの考え──アフリカはあんなに遠く離れているし、あんなに病理学的に「異なっていて」、非アフリカ人にはそこでの生活を理性的に推測することが不可能だという考えです。

わたしはナイジェリア人の作家です。初期教育をナイジェリアで受けました。ナイジェリアには少なくとも書店がひとつはあると考えるのが妥当です。わたしの本はそこで読まれているのですから。

質問が「本にアクセスするのは難しいですか?」とか「本は手ごろな価格で売られていますか?」だったら、話はちがっていたでしょう。それならもっと内容の濃い話もできたし、フェアです。

世界中でいま書店の数が減ってきています。それなら議論したり、嘆いたり、希望をもって変えていく価値があります。ところが「ナイジェリアに書店はありますか」という質問は、それについてではありませんでした。むしろアフリカに対する、意図的な、偉そうな、うんざりする、全面的な、さもしい無知に正当性をあたえるものでした。そんなことにわたしは我慢できません。

ひょっとしたらフランス人は、ナイジェリアを書店がある場所と考えることが本当にできないのかもしれません。これは、2018年に、相互に連絡を取れるインターネットの時代に、とても残念なことです。
つまり、ジャーナリストのキャロリーヌ・ブルエは知性的で、思慮深く、準備もよくしていました。彼女がその質問をしたとき、わたしはぎょっとなりました。なぜなら、それ以前に彼女がした質問より、ひどく程度の低いものだったからです。

いまなら彼女がアイロニーを出そうとしていたことがわかります。「無知を演じる」ことによって啓蒙するために。でも、それまでアイロニーとなるものがまったく示されていなかったために、わたしにはそれが認識できませんでした。彼女のアイロニーは本気の試みでした、面白くなかったとはいえ、だから彼女がおおやけに笑い者になってほしくありません。

書店についていえば、ラゴスのイコイ地区のアウォロウォ通りにある「ジャズホール」という店が、わたしのお気に入りです。わたしの育ったスッカには、オギゲ市場にあった、埃っぽい小さな書店の良い思い出があります。わたしの故郷出身の、穏やかな物腰の、ジョーという男性の店でした。『So Long A Letter』(註:マリアマ・バーの小説、野間賞受賞作品)を買ったのはその書店でした。
わたしの叔父のサンデイは母の弟ですが、30年以上もマイドゥグリに住んで、そこで書店を経営していました。
最近になって、彼がマイドゥグリはもう安全ではないと感じ始めて、東部へ引っ越したとき、叔父さんの書店がなくなったことがわたしにはとても悲しかったのです。

CNA

2018/01/26

深夜2時からだというので寝てしまったけれど

日本時間の深夜2時からだというので寝てしまったけれど、一夜あけて、一仕事すんで、さて、とのぞいてみたネット世界に、出てくる出てくる、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェがインタビューを受ける動画がもうアップされていた。JMクッツェーの写真や記事も!

 同時通訳のイヤホン越しにやりとりする会話なので、残念ながら、いや、当然ながら、というべきか、チママンダの声にはフランス語の通訳の声がかぶさって、本人の声はまったく聞こえない。おまけにインタビュアーであるジャーナリストのキャロリーヌ・ブルエCaroline Brouéが「シママンダ」と呼ぶ。なんだかな、でもまあ、そういうものか! フランス語では、Chi は「シ」となるからね!



 でも、あらためてこのイベントNuit des Idées 2018, Quai d'Orsayの趣旨を読むと、今年のテーマとして「想像力に力を」という表現がならんでいる。これは1968年の5月革命にオリジンをもつことばだそうだ。う〜ん、そういえば……おまけに、イベントのようすを伝える記事のなかに、こんなのがあった。

「文学は世界を変えることができるか?」という質問に対して、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェは「ええ、もしも政治家が年に3冊、本(文学書だよね、この場合)を読むなら、、、」と答えたという。
 ──日本にこれを当てはめてみると、真剣に、笑える😎

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昨年のイベントの記事を読むクッツェー
一方、コロンビアのカリブ海沿岸に位置する城塞都市カルタヘナでは、Hay Festival という文学祭が開かれていて、予告はされていたけれど、もうすぐ78歳になるJMクッツェーがちゃんと姿を見せていた。

 WMagazin という雑誌に写真をたくさんのせた記事がアップされていて、そのなかにフアン・ガブリエル・バスケスとならぶ写真もあった。昨年のイベントの詳細な記事にもリンクが貼られていて、そこにならぶ写真がとても面白い。

バスケスと
記事の内容はスペイン語なので、おおまかなことしかわからないけれど、今回もブエノスアイレスのMALBAのディレクターで、出版社「アリアドネの糸」の編集者でもあるソレダード・コンスタンティーニ氏といっしょに参加、とあるので、いよいよここで新作MORAL TALES のスペイン語版を、英語版に先駆けて発売するのかな、と想像力をふくらませる。

左の写真とイラストによるプログラムを見てもわかるように、ほかのゲストもなかなか豪華。
 あれ、ジェフ・ダイヤーって「イギリスからの参加」なんだ。Yaa Gyasiが「ガーナから」だとすれば、そういうことになるのか。ちなみにJMクッツェーは「南アフリカから」だ、やっぱり。

2018/01/20

自転車に乗るデイヴィッド・クッツェー

ケープタウンのロンデボッシュにあるイルマ・スターン・ミュージアムで20日まで開かれている、JMクッツェーの少年時代の写真展について、ニューヨーク・レヴュー・オブ・ブックスに非常に濃密な評が掲載された。

弟デイヴィッド
書き手は南アフリカで1964年に生まれた作家Mark Gevisser (マーク・ゲヴィサー or マーク・ヘフィセル?)で、ターボ・ムベキの伝記を書いたことで有名な作家だ。

 記事の巻頭を飾るジョンの弟デイヴィッド(1943-2010)が自転車に乗る写真がとても印象的だ。クッツェーのメモワール三部作の第一部『少年時代』のほとんどの章に登場するこの3歳下の弟デイヴィッドは、作品内ではたとえばこんなふうに描かれている。ヴスター時代の章だ。

 弟は「七歳だ。張りつめた気弱な笑いをしょっちゅう浮かべ る。ときどき学校で理由もなく吐き戻すので、家まで連れ帰らなければならない
──『サマータイム、青年時代、少年時代』(インスクリプト刊)p87。

動物の解体をするロスとフリーク
しかし、この写真はまたそれとは違うものを物語っているようだ。三部作を一巻にまとめた『サマータイム、青年時代、少年時代』や『イエスの幼子時代』は、2010年に66歳で早々と他界したこのデイヴィッドに捧げられていた。

 ほかにもフューエルフォンテインで猟銃の「尾筒に嵌り込んだ 薬莢をどうしても取り出すことができな」(同書 p99)くなり、相談したロスとフリークは銃に触れたがらない、とあったが、右の写真はまたそれとは違うことを教えてくれる。

 これらの写真を見ると、三部作のなかではもっとも事実に近い書き方をしているとされる『少年時代』もまた、あくまでクッツェーという作家の記憶に、ある脚色をほどこされたメモワールであることが分かる。

スパイカメラで盗み撮りした授業風景
 ジョン・クッツェー自身は1月11日、ミュージアムに姿を見せて『少年時代』から朗読したそうだ。朗読が終わったあと、あれこれ質問したそうな観客を残して、すぐに姿を消したとGevisser は書いている。

 このNYRBの記事はここで!