2018/01/15

J・M・クッツェー『少年時代』の記録写真

仕事が一区切りついたので、なかなかアップできなかった記事を、これまた備忘のためにアップしておこう。

1月20日までケープタウンのロンデボッシュにある画廊で開かれている写真展をめぐる記事だ。そこに展示されているのは、少年ジョンがカレッジ時代に写真に凝り、自宅に暗室まで作っていたころの写真。その展覧会について、あのマヤ・ジャギが1月2日にフィナンシャル・タイムズに評を書いていたので少しだけ紹介する。

https://www.ft.com/content/0b945a64-e4b0-11e7-a685-5634466a6915

まずは、興味深い写真をいくつか。

警察の車が2人の黒人歩行者の近くに寄っていく。
ケープタウン郊外ニューランズ。南ア政府が公式にアパルトヘイト制度を採用したのは1948年、
クッツェーがこの写真を撮った7、8年前のことだ

聖マリスト・カレッジで行われたラグビーの試合、ロンデボッシュ



今回の記事といっしょにアップされていた写真のなかで、もっとも興味深かったのは、父方の農場フューエルフォンテインの大晦日の写真と、少年ジョンを「小さな旦那さま」と呼んだロスとフリークが海を見ている写真だ。

ティキドラーイと言われる大晦日に開かれるダンス・パーティ。
「カメラにフラッシュを取り付けたけれど、シャッターと上手くシンクロしたことがなかった」と

ストランドフォンテインの海岸で、初めて海を見たロスとフリーク

農場がクッツェー家のものになる前からそこに住んでいたアウタ・ヤープという老人の息子ロスは、「いまや中年に差しかかり、とくに優れた働き手でもなく、頼りにもならず、ことを面倒にしがちであるにもかかわらず、そのあとを彼の息子が継ぐのは暗黙の了解」であるのに対して、「もう一人の雇い人フリークは、ロスより若くてエネルギッシュで、飲み込みも早く頼りにもなる。にもかかわらず、フリークは農場の一部ではない」拙訳『サマータイム、青年時代、少年時代』 p93)。
「フリークは穏やかで、話し方が柔らかだ。太いタイヤの自転車とギターをもっている。夕方になると自分の部屋の外に腰かけ、近寄りがたい笑みを浮かべて、独りでギターを弾く」(同書p95)

 このロスとフリークが生まれて初めて海を見ている、その写真に今回の展示のためにJMクッツェーが書いたキャプションにはこうあるという。


 彼らがなにを思ったか、いまとなってはぼくには永遠に分からない。


 どれも、さまざまなことを想起させる写真である。


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付記:2018.1.16付ニューヨークタイムズにも大きな記事が載りました。未見の写真もあって、驚きました。とくにプラムステッドの家の前で犬を抱いた母親ヴェラの写真など。

詳細はこちらへ。

プラムステッドの家の前に立つ母親ヴェラ


聖マリスト・カレッジで、修道僧ブラザー・アレクシスによる授業風景。
クッツェーのキャプションに「ブラザー・アレクシスが授業中に居眠りをするのを見て教師の役割なんてひどく退屈だと思った」と。『少年時代』には「無精髭を生やした太ったブ ラザー・アレクシスがアフリカーンス語のクラスで無様におならをして寝入ってしまったとき、ブラザー・ アレクシスは頭の良い人だから自分より劣った人間を教えていることに気づいたのだ、と自分を納得させる 」とあって、おかしい!
──拙訳『サマータイム、青年時代、少年時代』p146

ケープタウンの北へ200マイルほどのストランドフォンテインの海岸を訪れた、ロスとフリーク


父親ザカライアスと、母方の大叔母アニー。
父親との関係は『少年時代』に詳しく、『サマータイム』には懐古的フィクションとしてでてくる

聖ジョセフ・カレッジの学生。
クッツェー自身は『少年時代』に「自分ほどクリケットに身も心も打ち込んでいる者はい
ない」と書いている。──『サマータイム、青年時代、少年時代』p154

セルフポートレート


セルフポートレート

フューエルフォンテインは父方の伯父の農場。
南アフリカ中央部にある乾燥した地域カルーにある

2018/01/07

JMクッツェーのCBCラジオによるインタビュー(2)

備忘のためにシェアしておきます。
これはカナダのCBCラジオのインタビューで、ここでシェアした動画とおなじ、2000年2月に録音されたもの。



 もとは2時間におよぶ長いインタビューですが、今回アップされたのは「言語について」とりわけ『少年時代』に出てくるアフリカーンス語と英語の関係、それをめぐって少年時代に経験したことなどを語る部分が含まれます。インタビューの場所は、当時クッツェーが勤務していたケープタウン大学の研究室で、暑い夏の日とか。
 英語に対するクッツェーの発言を2018年のいま再度確認すると、また別の位相が浮かびあがるように思えます。英語以外の言語で書く気はないか?と問われて、ありえない、書いてもひどくラフなものになるだろうと。アフリカーンス語で書くとしたら、そこにはlifeがなくなると。これは、学習した言語で書くことに光があたる現在、クッツェー文学の「無国籍性」が語られたこととと絡めて再考してみたいことでもあります。

 重要な作家は?と問われて、カノンのことへ続きますが、アフリカでいま語るとしたら、エッセンシャルな基礎となるのは、、、、、、『イリアス』。アリストテレス、ホラティウスの名前も聞こえてきますが……。
 ほかにも、アウトサイダーとしての4人の作家、フォード・マドックス・フォード、ベケット、カフカ、ドストエフスキーについて語っています。ベケットが英語からフランス語へ切り替えたことについても、かなり突っ込んで語っています。
 アメリカの作家は? と問われて、フォークナーとエミリー・ディキンソンの名前だけあげておきます、という答え! ドストエフスキーとトルストイについて、まったく異なるかたちのクリスチャンの作家であることをまず述べておきたい……。etc.etc.

 最後に、これは10年前のインタビューです、と言っています。ということは2010年に番組として編成されたものでしょうか。インタビュアーはかのエレノア・ワクテル(Eleanor Wachtel)です。

2018/01/01

あけましておめでとうございます!

今年もどうぞよろしくお願いします。

2018年もまた、J・M・クッツェーとチママンダ・ンゴズィ・アディーチェで明け暮れる年になりそうです。
昨年9月にクッツェーのデビュー作『ダスクランズ』の新訳を出せたことは本当に幸運でした。それをめぐり「図書新聞3334号」の1-2面にインタビューが載ります。「翻訳文学も日本語文学」と大きなタイトルがつきました。

「クッツェーを読むとき、読者もまたクッツェーに読まれてしまう」という恐い(!)サブタイトルも……。

Philadelphia Museum of Art/© Succession H. Matisse,
Paris/Artists Rights Society (ARS), New York
この作家は2月で78歳ですが、新著 Moral Talesを英語版より先にスペイン語版で出そうとしています。まさに Born Translated、その姿勢に日本語訳者としてもチューンナップしていきたいと思っています。
 1月27日にコロンビアのカリブ海に面した城塞都市、カルタヘナで開かれるブックフェアに参加するというニュースが流れましたが、この新作から朗読するのでしょうか?
 そういえば、つい先日も、ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックスに短編「Lies/嘘」を発表したばかり。これはスペイン語版でまず出る上記の短編集に含まれる作品です。

 さてさて、9月に41歳になるチママンダ・ンゴズィ・アディーチェ。ここ数年の彼女をめぐるニュースの多さには圧倒されっぱなしで、あちこちにアップされるインタビューやらトークやらの動画の多さ、もう追いかけきれません💦! 日本でも昨年は長編『アメリカーナ』の書評やエッセイ、スピーチなどの訳が雑誌に載り、4月には『男も女もみんなフェミニストでなきゃ』が出て、それをめぐるイベントが開催されました。多くの人たちの心をわしずかみにするアディーチェのことば、視点、笑顔、いまや世界のオピニオン・リーダーといえるでしょう。

『早稲田文学女性号』に掲載された「イジェアウェレへ、15の提案にに込めたフェミニストのマニフェスト」も好評でした。今年はこの『イジェアウェレヘ』も書籍化したいものです。できるでしょうか、みなさん、ぜひ、応援してください!

 シングル・ストーリーではなく多くのストーリーが大切、とアディーチェはいいます。政治的に右とか左とかには関係なく、ややもすると単眼的になりやすい偏狭的な発言に、きっぱりと「ノー」といってその理由を明快に述べる。多くの人を納得させることばを発する彼女の知性は本当に魅力的です。

 アディーチェを初めて日本に紹介したのは2004年8月、北海道新聞に書いたコラムでした。彼女の初作『パープル・ハイビスカス』がオレンジ賞(現在のベイリー賞)の候補作になったときのことで、あれから14年かと感慨深い思いにかられます。
 2006年にクッツェーが初来日したときも、この『パープル・ハイビスカス』のことが話題になったのを思い出します。15歳のカンビリが悲劇的事件を経験しながら大きく成長するこの物語に、クッツェーが賛辞を寄せていたからです。この初作もまた日本語にしたいものですが。。。
 
 2018年、世界のなかの日本はどうなるのか? 日本語文学にどんな新風が吹き込まれるのか、心して見ていきたいものです。

2017/12/31

良い年をお迎えください!

今年の最後はふたたびこの曲でお別れです! 英語の字幕もついてます。




2017/12/30

白い濁り湯にひたる愉楽──木村友祐『幸福な水夫』

木村友祐『幸福な水夫』(未来社刊 2017)

 師走もおしせまった日に届いた、凝った装丁の『幸福な水夫』をはらりと開いて、つい読みふけってしまった。八戸から恐山をぬけて、老父と中年にさしかかった息子2人が温泉まで旅する物語は、最初から微温の湯に入る感覚で、どこかに思わぬ仕掛けが埋め込まれているかもなどと緊張せずに、安心して読みすすめられる。そこがいい。
 登場人物の人間関係がなんともマッチョな「男の世界」だけれど、人肌が感じられる下北弁での会話はどこか懐かしく、背後に戦後日本の時間の流れや、物語を加速させる叶わなかった父の恋を埋め込んだ物語としても楽しめる。

 ひなびた温泉旅館のスナックで、都会からやってきて、標準語で話してもらわないとわからない、と冷笑的にいう男たちに向かって、主人公があびせることば:下北では下北弁が標準語だ! がメトロポリスに抗する地方の力学を見事に描いていて、圧巻。
 どこまでも理知的な技巧を凝らしたクッツェーの作品のあとに読むと、肩の力がふいに抜けて、白い濁り湯にひたる気分になるのは、温泉に入りながら都会暮らしの緊張をほぐす主人公だけではない。荒っぽい男たちのことばの陰に埋め込まれた、田舎の土地が養う朴訥さに、まっすぐ反応する自分がいることを再確認させてくれる作品だった。

 ひと足お先におせち料理をいただいたような気分。ひょっとして、いろいろ心が挫けそうなことの多かった年の瀬に読むにはふさわしいかも。凝った装丁本は限定1500部!

2017/12/27

パリジェンヌ展/世田谷美術館

さあ、来年のイベントです!

 年明け早々の1月13日から、世田谷美術館で「パリジェンヌ展」がはじまります。ボストン美術館からやってくる美術品の数々が展示され、それが「1715年から1965年までの、文化の首都で描かれた女性たちのポートレート」とはまた、興味津々です。


所蔵がボストン美術館というところが面白い。つまり、アメリカ東部にもっとも古くから建設された都市ボストンが所蔵してきた「パリ」をめぐるあれこれなんです。

 新世界の植民地アメリカがイギリスと戦争をして独立したのが1776年、そのアメリカがヨーロッパ、とりわけフランスの「文化の首都」をどう見てきたか、独立の少し前から20世紀半ばまでの、彼の地への屈折した「あこがれ」の視線がどうあらわれているか。そしてそれは、とりもなおさず、東アジアにある日本社会が近代以降、追いかけてきたヨーロッパへの憧れの視線と重複するのかしないのか。これはもう見どころ、考えどころがたっぷりありそうです。

 イベントもいくつか開かれ、光栄にも、『鏡のなかのボードレール』の筆者にもお声がかかりました。2月24日のトーク・イベントに顔を出します。

 <褐色の肌のパリジェンヌ──エキゾティシズムが生んだミューズたち>
  2月24日(土曜日)14:00~15:00 世田谷美術館講堂
  話:くぼたのぞみ、聞き手:キュレーターの塚田美紀さん、です。
 
 19世紀最大のロマン派詩人といわれるボードレールのミューズ、ジャンヌ・デュヴァルは褐色の肌をした女性でした。時代が下って、アメリカで徹底的な差別を受けたミズーリ州セントルイス生まれのジョセフィン・ベイカーは、パリへ渡って大成功をおさめたアフリカン・アメリカンの女性。そのベイカーが「エキゾティシズム」による「美のオブジェ」として、当時のパリでいったいどんなパフォーマンスをしたか、やらされたか。
 彼女は「ブラック・ヴィーナス」の異名をとり、最後はフランス国葬になりました。そんなベイカーの姿もこの展覧会には姿を見せています。

 詳しくはこちらへ!

***
メモ:ボストンは1630年にイングランドから来た清教徒たちの手によって築かれた古い町。そのボストンで起きた茶会事件をきっかけに、アメリカが独立戦争を経て宗主国イギリスから独立したのが1776年。フランスの植民地だったルイジアナをナポレオン・ボナパルトから破格の値段で買い取ったのが1803年。奴隷制度を廃止したのは南北戦争(1861~65)後の1865年とされるが、実際の差別は延々と残り、南部ではリンチが後を絶たず、1960年代の公民権運動、ブラックパンサーの運動、アファーマティヴアクションなどで徐々に改善されてきたとはいえ、負の遺産はいまも続く。

2017/12/24

ショパンでメリー・クリスマス!

Joyeux Noël! Merry Christmas!

子供のころは生木に綿をのせて飾ったクリスマスツリー、自分が親になったらこっそりプレゼントを買っておいて、さてどこにしまっておこうかと頭を悩ませたクリスマス。楽しかったことばかり思い出すクリスマスだけれど、すでに子供たちは成人済み。
 さて、今年のクリスマスはどんなふうに過ごそうか。いつもおなじメニューのクリスマス・ディナーを作ることは決まっているし、リースもドアに飾ってあるし、仕事も一段落したし……



 ふとKさんのブログで、ショパンのピアノコンチェルト第1番の動画を見つける。懐かしい。学生時代に短期間メンバーだったオーケストラで演奏した曲だ。これはショパンの生地ポーランドのラジオ室内楽団と、緋色のドレスを着たオルガ・シェプスのピアノ。モスクワ生まれのピアニストらしい。

 ショパンは、若いころは「あますぎる」と避けたけれど、70年代に出たポリーニは針が飛ぶほどの勢いのあるLPを買って聴いた。50歳をすぎたころからは、お砂糖のような優しいアシュケナージを何枚も買い込み、肩こりをとるために(!!!)取っ替え引っ替えかけていたことがある。最近はまた聴かなくなっていた。

 ショパンはある年齢をすぎるとまたよくなる、というのは本当だ。ロマン派の作品を批判する視点を身につけてから、ふたたび、人生も晩年に近づくと、この「あまさ」に身を委ねる心地よさを welcome! したくなる瞬間があるものだ。詩はそうはいかないけれど、音楽は無条件にwelcome!
 しかしどこまでも、ときどき、ときたま、である。ふだんは、日常的にはやはりバッハでしょう。フランス組曲とかね。先日もグールドのフランス組曲第2番をOLの通勤のためにコピーしたばかりだった。
 では、あまいながらも凛としたショパンで:

 メリー・クリスマス!