2017/09/16

J・M・クッツェーとUNSAMの仲間たち

9月12日と13日の両日、アルゼンチンのブエノスアイレスにあるMALBAおよびUNSAMで開かれた「南の文学」の写真をいくつか、備忘のためにアップしておく。

MALBAでアナ・カスミ・スタールと

JMクッツェーとカルロス・ルタ
スペシャル・ゲスト、キャロル・クラークソン
クラークソンの話にはヘッドフォンは不要😎

研究発表
ヘッドフォンでシンポを聞きながらメモするクッツェー、めずらしく黒いシャツ姿
「Foe」の演劇キャスト、スタッフたちと
左端がアナ・カスミ・スタール、3人目がキャロル・クラークソン
UNSAMの仲間たち、みんな笑顔



2017/09/15

お誕生日おめでとう!──チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ

オレンジ賞授賞式 2007
今日9月15日は、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの誕生日です。『パープル・ハイビスカス』でデビューしたチママンダ・アディーチェは当時27歳でした。1977年生まれの彼女も今年で40歳。

Happy Birthday, Chimamanda!!

初来日2010
最年少でオレンジ賞を受賞した『半分のぼった黄色い太陽』(2006)と、アフリカ人で初めて全米批評家協会賞を受賞した『アメリカーナ』(2013)という2冊の傑作長編小説で大ヒットを飛ばしたアディーチェ。
 昨年はTEDTalkの第2弾『男も女もみんなフェミニストでなきゃ』のタイトル文字がディオールのTシャツの胸を飾って、ファッション界でも大きな話題をさらいました。「フェミニスト」ということばがそれで新たな生命を吹き込まれたように思います。そのアディーチェは、いまや一児の母です。

2016年秋
今年もまたノーベル賞が話題になる時季がやってきましました。まだ40歳のアディーチェが、すでにその渦のなかにあるというのはまったくの驚きです。
 アディーチェの日本デビューをはたすべく、それまであたためてきたプランが、日本独自の短編集『アメリカにいる、きみ』となって河出書房新社から出たのが2007年。早いものであれから10年です。2010年の来日をはさんで日本でも多くの読者にめぐまれているアディーチェ。

 これからがますます楽しみな作家ですね。


2017/09/09

『ダスクランズ』──J・M・クッツェーのデビュー作


みほんができた。作家が30代前半に書いたデビュー作は、「クッツェー、すげえ!」と口走りたくなるような本だった。こう書くか、ここまで書くか!と。

新訳『ダスクランズ』(人文書院刊)
彼の作品を訳しはじめて何年になるだろう。ペンギン版の『マイケル・K』と出会ったのは1988年だから、かれこれ30年か……とつい回顧的になってしまう。まあそういう年齢だからね(笑)。なにこれ?という驚きから始まり、ただならぬ作家と知って居住まいを正し、翻訳者としてこれは外せないと思うところを調べているうちに今日にいたった。この30年、いまも発見の連続なのだ。

 最初のきっかけとは前後するが、南アフリカ関連の書籍や短編をいくつか訳してきた。収穫は大きかった。それは翻訳する作品の時代背景を探るための、訳者として欠かせない作業にとどまらず、作家の生い立ちや考え方を形成したものを知る作業でもあった。いや、過去形ではなく、現在形としてそうなのだ。

・IDAF/UNESCO『まんが アパルトヘイトの歴史』1990
・マジシ・クネーネ『アフリカ創世の神話』1992
・ベッシー・ヘッド『優しさと力の物語』1996
・ゾーイ・ウィカム『デイヴィッドの物語』2012
・メアリー・ワトソン「ユングフラウ」2017──雑誌「すばる 10月号」

J.M.Coetzee in the World

クッツェーは「数々の偽装を凝らした作品」を書いてきた。だから、いろんなアプローチが可能だ。しかし彼にとってまず切実なテーマは「歴史の哲学」だった。『ダスクランズ』に入った第二部「ヤコブス・クッツェーの物語」は、米国滞在中に書きはじめた作品で、やむなく南アフリカへ帰国するころには、ほぼできあがっていた。この部分を訳しながら、作家としてのスタートラインを再確認できたのは大きかった。ここでクッツェーはみずからの「歴史的ルーツ」と「同時代的な現在」を見出そうとしたのだ!

 この作品には、自分が生まれ育った土地を中心にしたスパンの長い歴史を、強烈な「透視」によって貫こうとする強い意志がみなぎっている。それはいまだから見えるもので、『ダスクランズ』が発表された1974年は、かの地にはアパルトヘイトという人種に基づく暴力的搾取制度があり、それがクッツェー作品とどう繋がるか、部外者には見えにくかった。

カンネメイヤーの伝記
米国滞在期にヴェトナム戦争報道や反戦運動を目の当たりにして帰国してから、クッツェーは第一部「ヴェトナム計画」を書いた。1994年、日本語の訳書として4冊目にあたる『ダスクランズ』の初訳が出たころは、この二部構成の不可解な作品で作家がいったい何をしようとしているのか、よくわからないと言われたものだ。 
「歴史の哲学」を軸にして、二つの土地をゆるく、ときに緊密につなぐこの『ダスクランズ』から、ポストアパルトヘイトの状況を非情なまでに明晰な文体で描いた『恥辱』へと、数々の技巧を駆使した作品をクッツェーは書き継いでいった。だが、その底流を支えるものが誰の目にも明らかになったのは、2012年に「クッツェー・ペーパー」が公開され、JCカンネメイヤーの伝記や、デイヴィッド・アトウェルの本が出たあとだった。

自伝的三部作
とはいえ、2009年に出た自伝的三部作の最終巻『サマータイム』には、『ダスクランズ』を書いてデビューする若い作家の姿がリアルに描かれていた。『少年時代』や『青年時代』にくらべてフィクション性が強く、妻も子もいない独身者という設定になっているが、それでも、ここにはデビュー当時の作家の心情が強く滲み出ていた。当時の自分に対する作家自身のコメントが、登場人物の口を借りてはっきりと語られ、長い時間軸の上に自分の仕事をのせて、強烈な光をあてながら分析しているのだ。だから、『サマータイム』を訳したときから、『ダスクランズ』で始まるクッツェー作品全体を見直す作業が、避けて通れない課題になってしまった。

『ダスクランズ』の翻訳中には、これが、ここが、作家 J・M・クッツェーの紛れもない出発点だったのか、と再確認する瞬間が何度かあった。そこには、クッツェーがさまざまな実験を試みながら作品を書いていく萌芽がほぼすべて出そろっていたのだ。たとえば、作品は最初から「翻訳」だった。まさに born translated だ。作者が作中人物をどこか「外側から見ている感覚」が常につきまとっていた。運命に翻弄される人物を描き出す筆致は、じつは、サミュエル・ベケットのような究極のダーク・コメディをもとめていた、などなど。

 作家、J・M・クッツェー誕生とその後の軌跡について知るためには、『ダスクランズ』は必読の書だろう。30歳前後のワカゾーが書いた、聞きしにまさるエグい小説だけれど!! 解説は、この作家の始まりから現在までをざっと見通せるよう、いくつかのキーワードでまとめてみたが、おそらく作家クッツェーの真髄は、こんな「まとめ」をことごとくすり抜けてしまうところにあるのかもしれない。
 最後に残るのはテクストのみだ。

2017/09/05

メアリー・ワトソンを訳しました──「すばる 10月号」

すばる 10月号」が「あの子の文学」という特集を組んでいて、とても充実している。わたしも南アフリカ出身の作家、メアリー・ワトソンの短篇「ユングフラウ」を訳出した。
 2004年に出版された短篇集『Moss・苔』に収められたこの作品で、ワトソンは2006年にケイン賞を受賞した。同年9月に初来日したJ・M・クッツェーと会ったときも、この作品のことが話題になった。あれから10年あまりが過ぎて、ようやく翻訳紹介できた。嬉しい。
 
Mary Watson
「ユングフラウ」の舞台は海岸沿いの居住区、どうやらケープタウン南東に広がるケープフラッツの南端、グラッシー・パークらしい。ワトソンが生まれ育った土地だ。そこに住む少女の目からポスト・アパルトヘイト時代の日々を描く物語は、ワトソンが修士過程で書いたものが原型になっているという。ということは1990年代後半、クッツェーが『恥辱』を書いていた時期とかぎりなく重なる。ということもあって、多くの人に読んでいただきたいが、とりわけ『恥辱』ファンにはおすすめだ。

セックスをめぐる語りの中心が、片方は白人男性、もう片方が十代の(間違いなく非白人の)少女で、ジェンダーも人種も、いわば真逆の視点から、当時のケープタウンの人々の関係をのぞきみることになる。二つの作品は相互に強く響き合う要素をもっているのだ。「歴史の哲学」を最重要テーマとして『ダスクランズ』から出発したクッツェーがたどりついた『恥辱』、そして「ユングフラウ」を読むと、ふたつの物語の背後に広がる世界がじわり、じわりと迫ってくる。

 Mary Watson は1975年生まれ、ケープタウン大学で映画と文学を学び、クリエイティヴライティングの修士過程では故アンドレ・ブリンクの指導を受けた。2003年に出版された、南部アフリカの女性作家たちのアンソロジー『Women Writing Africa──The Southern Region』に協力者としてワトソンの名前がある。この分厚い本を編集した一人は知る人ぞ知るドロシー・ドライヴァー、クッツェーのパートナーだ。ドライヴァーはケープタウン大学の教授でもあったから、ワトソンはドライヴァーの教え子だったかもしれない。さらにワトソン自身がケープタウン大学で講師として映画論を教えていたという。めぐり、めぐる、人と時間。

「すばる 10月号」には、ほかにも岸本佐知子さん、柴田元幸さん、斉藤真理子さん、古市真由美さんが、それぞれとても興味深い作品を紹介している。ピンクの濃淡、青と紫の色に縁取られた特集号だ。

2017/08/31

オクスフォード大学でも「クッツェーと旅する」シンポが

今年もまた9月から、クッツェーをめぐる催し物が目白押し。

 すでに8月28日にはチリのサンティアゴで、これで3回目になる「クッツェー短篇賞」の授与式が行われるという記事があった。サンティアゴ近辺の学生を対象に、今年のテーマは「都市」。金、銀、銅、そして佳作3作が選ばれて、それぞれ講評が行われたらしい。昨年と一昨年の授与式では、これまでクッツェーが受賞した2つの賞(子供時代にもらった賞)について述べたが、今年はスウェーデン国王から授与された賞について語るとか。ノーベル賞のことだが、今回はスペイン語のスピーチが準備されていたそうだ。

それが終わったら、ブエノスアイレスの第6回「南の文学」だ。12日、13日にサンマルティン大学で開かれる今回は、シンポジウム形式で「ラテンアメリカ文学におけるJMクッツェーの影響」がテーマ。
 ケープタウン大学の元同僚で優れたクッツェー論『カウンターヴォイス/Countervoices』という著書をもつキャロル・クラークソン(2014年にアデレードで会いました!──いまはアムステルダム大学で教えている)がスペシャルゲストだ。詳しいプログラムはここ


 さらに9月末からはオクスフォード大学で「クッツェーと旅する、他のアート、他の言語:Travelling with Coetzee, Other Arts, Other Languages」という魅力的なテーマの、ジャンルを拡大した大がかりなシンポがある。エレケ・ボーマーとミシェル・ケリーがオーガナイザーとして名を連ねているが、このプログラムを見て、ああ、クッツェー研究も若手が主体になっていくんだなあ、と感慨深い。
 2014年にアデレードで発表した人たちの名前もあるし、クッツェーの小説を演劇化したニコラス・ランスや、クッツェーの初期作品のシナリオを書籍化したハーマン・ウィッテンバーグの名もならんでいる。彼のセレクションでクッツェー自身の写真もならぶらしい。少年ジョンが聖ジョゼフ・カレッジの生徒だったころ、自宅に暗室をつくって写真に凝った時代のものだ。さらに『文芸警察』でアパルトヘイト時代の検閲制度を詳述した(現在オクスフォード大で教えている)ピーター・マクドナルドの名も見える。

 瞠目すべきは、この「クッツェーと旅する」シンポの最後に翻訳者が数名ならんでいることだ。セルビア語、オランダ語、イタリア語の訳者の名前があって、最後に、オランダのコッセ出版社代表であるエヴァ・コッセの名がある。エヴァ・コッセはクッツェーが70歳になったときに、アムステルダムで大々的なイベントを開催した人で、カンネメイヤーの分厚い伝記やアトウェルの本の編集・出版権を担当したツワモノである。(わたしも原稿段階の伝記をPDFで読ませていただいてお世話になりました。Merci beaucoup, Eva!)
 フランス語の訳者でクッツェーの古くからの友人であるカトリーヌ・ローガ・ドゥ・プレシの名がないのがちょっと寂しいが、いずれにしてもヨーロッパ言語間の翻訳をめぐってあれこれ論じられるのだろう。英語とヨーロッパ言語少し、という枠内の話だが、それでも興味深い。

 再度書いておこう。この催しのプログラムの詳細はここで見ることができる(Downloadで)。わたしの目を引いたのは、現在ウェスタン・ケープ大学で教えるウィッテンバーグが『マイケル・K』を論じるタイトル:「Against World Literature/世界文学に抗して」、そして、2014年にまだ赤ん坊だった男の子を連れてパートナーといっしょにアデレードにやってきたウェスタン・シドニー大学のリンダ・ングが「Coetzee's Figures of the non-national/クッツェーのノン・ナショナルな(「非国民・非国籍・非民族の」とでも訳そうか?)人物たち」という発表をすること。
 10月は先述したロンドン大学での催しも待っている。いずれも、最後にクッツェーがリーデイングをする、祝祭めいた催しだ。10月1日、聖ルカ礼拝堂で行われるクッツェーの朗読だけを聞くこともできるそうだ。

 ジョン・クッツェーさん、またまたロング・ジャーニーに出たんだな。こうして旅するあいだも、彼はどこにいようと、毎朝きっちりPCに向かって創作を続けていくのだろう。


2017/08/30

アディーチェがエディンバラ大学で名誉博士号を受ける

ああ、忙しい。クッツェーもアディーチェも神出鬼没、まるい地球上をあちこち飛びまわっている。追いかけるほうも大変よ〜〜〜😆。

 そう、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェがエディンバラ大学で名誉博士号を受けたというニュース。アディーチェ自身のfacebookへのポストで知ったのだけれど、大学のニュースサイトはこちら、さっそくYOUTUBE には動画もアップされている。ほら。



いつもながら、この人の笑顔はいいなあ。

2017/08/29

7月のミラノ──映画狂 J・M・クッツェーと3本の長い映画


 ミラノで7月7日、ラミラネシアナという総合文化祭でJ・M・クッツェーが映画を3本上映しながら講演する、というニュースが入ってきたのはいつだったか。

 その3本とは:
 ・黒澤明監督の「七人の侍」
 ・サタジット・レイ監督の「大地のうた」
 ・ピエロ・パオロ・パゾリーニ監督の「奇跡の丘」


 フェスの様子がイタリアの新聞に掲載された、La Lettura という新聞の日曜読書欄別冊300号記念の分厚い号で、 3本の映画についてクッツェーが書いているという。イタリア語なのでまったく読めない。ところが「世界文学・語圏横断ネットワーク」の事務局をつとめる土肥秀行さんが電子版を定期購読していて、ページ画像を送ってくれたのだ。日本語の概略までつけて。ありがたきかな、とはこのこと! さっそくこのブログでシェアしようと思う。

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 序として、
40年前にロンドンで映画を観ていた、昔は映画が一番身近な芸術で、世界中の若者が同じ映画を観ていた、いまもそうだろうが20代は影響されやすいもの、だから自分が影響が受けたものーそれは今の映画よりもアンビシャスだったーを紹介する。

『大地のうた』について──
ベンガル地方の言葉で撮られた映画で、世界中で有名になったものの、インドのなかではマイナーである、サタジット・レイは裕福な家の生まれで、イタリアのネオレアリズムやクロサワに影響を受け、カルカッタ郊外の田舎を舞台にした、「さまよう」という言葉がふさわしい撮り方と語り方である、インドでは右派からも左派からもたたかれた、彼自身「普遍的な人道主義」に根差したとコメントしていたから余計たたかれてしまった、(クッツェーがひきつけられている点として)ブレッソンのように人とモノが対等に溶け合う映像である。
『七人の侍』について(3本のなかでもべた褒め)──
筋は単純だが、現代的なテーマを抱えていて、一次的にサムライを雇って悪者を駆逐した農村はその後どうなるのか、また別の悪者があらわれたらまたサムライを雇うのか、それとも常備軍を整えるのか、農村にそんな余裕があるのか、それにそんなことをしたら軍人層に圧迫されないか…といった疑問を生じさせる、時代背景としては日本がアメリカ統治期に「時代劇」が戦中の「武士道」を煽ったため禁止されていた、しかし軍政下でも「時代劇」は前近代的なものとして制限されていた、「時代劇」の復活は、戦後の日本の大変革を後押しするために行われた、笑いや恋愛を交えて展開していくクロサワの語りはシェイクスピアに匹敵する、ベストな俳優たちがベストな演技をみせている、特にミフネは道化的かつ悲劇的ですばらしい。

『奇跡の丘』について──
弱き者と抑圧されき者に寄り添うマタイ伝を忠実に映像化しようとした、イエスは超人的に描かれる、それはパゾリーニのイエス観にもとづく、神話を再現しようとしている、当初撮影が予定されていたパレスチナはイスラエルの意図により聖性が取り去られていて、南部イタリアに変更された、そこは先進国のなかの第三世界であり抑圧された土地だった、人々の慎みは聖地がもっていたものと同じである、その慎みと聖性は、現代のパレスチナのように、失われていくものだった、パゾリーニはのちにそれを嘆くようになる、パゾリーニはこの映画に中世の世界観を持ち込む、すなわち光は世界を照らすというものである、ゆえにこの映画の人々は逆光や真上からの光線により、造形的に正面から絵画的に描かれる、イコンのよう映像なのである。
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 どれもいかにもクッツェーらしいコメントである。「七人の侍」については『Diary of a Bad Year/厄年日記』(2007)の巻頭を飾る章「国家とはなにか」で詳述しているし、「大地のうた」も「奇跡の丘」も『青年時代』に出てくる。ロンドン時代に映画を観ることが唯一の気晴らしだったコンピュータプログラマーのときの話である。とりわけ、インド映画の音楽に心身ともに揺さぶられたこと、母親と息子の関係の描きかたなどが心に残ったこと、が書かれていた。
 しかしなんといっても「奇跡の丘」を観たときの体験が印象深い。政教一致の南アフリカで彼は教育を受けた。それまでに心身ともに染み込んでいるキリスト教文化の土埃を足から振り払ったつもりが、そうではなかった、最後に近いシーンでキリストの両手に釘が打ち付けられる一瞬一瞬に身体がぶるっぶるっと震えたこと、見終わったときは不覚にも涙が出てきたこと、などが体験として述べられていたのだ。
 このへんのことが、いま彼が書いている「イエスの連作」とどう関連するのか。

 いずれにしても、上の映画評はたんなる印象評ではなく、それぞれの映画が制作された時代背景や、そのときどう評価されたかまで含めて、概略ながらじつに的確な論評である。全文をぜひとも英語のオリジナルで読んでみたいものだ。

Grazie mille, Doi-san!