Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2024/03/13

中村祐子「冬の日の連想」⇨ 置き去りにしたものに青い硬質な光があたる

 「me and you little magazine」というウェブマガジンがある。そこに中村佑子の連載「午前3時のソリチュード」(編集は河出書房新社の谷口愛さん)がぽつぽつとアップされる。これが面白い。

 この連載は、ことばがひたひたと迫ってくる小さな波のようで、穏やかながら、ひとつひとつの波は存外、感覚の深いところへ降りてきて、その周辺の記憶に響き、あざやかに揺らす。新しい文章が加わったというお知らせがXに載ったので、さっそく読んだ。「冬の日の連想」だ。

 書き出しは2歳の男の子の頭を撫でることから始まるのだけれど、それがミケランジェロ・アントニオーニ(1912-2007)の映画「情事 (1960)」のあるシーンに繋がっていく。出てくる女優がモニカ・ヴィッティ、「L'Eclisse/太陽はひとりぼっち (1962)」のあの女優だ。この映画については以前、クッツェーの『青年時代』に絡めてここに書いたけれど、初めて観たのは学生時代、いや10年ほど前か。『情事』はたぶん観ていない。

 ところが中村佑子は学生時代に、ミケランジェロ・アントニオーニが映画監督でいちばん好きだったと書いている。驚いた。1990年代のことなのだ。

 それで思い出した。まだノーベル文学賞を受賞する前のJ・M・クッツェーが、毎日新聞にコラムを連載していたことがあった。あれは1990年代半ばから文学賞受賞までだったか。日本語に訳されて紹介されたのは、当時の南アフリカ社会の断片をスパッと切るようなコラムだったが、あるとき自分の好きな映画監督ミケランジェロ・アントニオーニのことを書いた。でもそれは、あまりにも古いネタと見做されて没になった。これは担当記者のFさんから、後で聞いた話だ(註)

 「午前3時のソリチュード」は、去年まとめて読んだ。でも読みそびれていたものがあったことに今回、気づいた。「火の海」だ。のっけからマルグリット・デュラスの『ロル・V・シュタインの歓喜』が出てくる。でも、この作品と狂気について詳しく書かれているのは、ひとつ前の「現実の離人感」だ。とにかく、おお、デュラスかあ、とため息が出た。


 1968年に大学に入って、ストライキで授業がなくなって、それからまあ色々あって、授業が再開された。数人で作品を選んでそれについて発表することになった。そのとき5人の女子学生は、なぜか、翻訳が出たばかりのデュラスの『破壊しに、と彼女は言う/Détruire, dit-elle』(訳:1969)を選んだ。ずらりと居並ぶ教授陣を前にして、あの作品をどう読んだのか、誰が何を言ったのか、いまやまったく覚えていないけれど、とにかくほぼ徹夜して、それぞれが書き上げたリポートが、デュラスの極めて難しいと言われる作品についてだったのだ。

午前3時のソリチュード」の書き手、中村佑子はマルグリッド・デュラスを、この作家のもっとも深いところまで降りていって、読む。その狂気をも含めて、ぶれることなく読む。

 当初、デュラス作品を日本語にした翻訳者は清水徹、田中倫郎、平岡篤頼といった男性研究者が圧倒的に多かった。それはなぜだろう、と以前から考えていた。(研究者も翻訳者も圧倒的に男性だったからだろうな。)でも残念ながら、会話が、とりわけ女性が発することばが、どうもしっくりこなくてはがゆかった。(今世紀に入ってからは関連書籍を北代美和子さんなどが翻訳するようになって嬉しい。)

 大学を卒業してからも、デュラスは断続的に読んだ。とりわけ80年代に発表された『アガタ』『愛人』『苦悩』『物質的生活』『エミリー.L』『北の愛人』などはどれも、詩人Kさんといっしょに貪るように読んだ。デュラスの訃報に、Kさんと献杯した記憶もある。

 J・M・クッツェーの作品を翻訳するようになって、わたし自身はデュラスからは一気に遠ざかった。ある時点で、デュラスの本はほぼすべて処分している。それもいまにして思えば自然な成り行きだったかもしれない。でも表層的には学生、OL、母親、翻訳者をこなしながら、どこかに置き去りにしてきたものがあるのだ。そのことに思い至った。

 クッツェー翻訳が一段落したいま、そんな遠い20代、30代の自分と再会させてくれる、青い硬質な光を発する、中村佑子のことばに出会えたのは幸いだ。「冬の日の連想」を読んで、しみじみ抱く不思議な感覚に身震いする。

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註:発表されていれば、少年時代に写真家をめざしたクッツェーの映画論として、貴重な映像論になったのに、没になったのが惜しまれる。 

2024/03/07

アブドゥルラザク・グルナ『楽園』(白水社)の書評とエッセイ

忘れないうちに記録しておきます。

少し前になりますが、 2月17日付日経新聞朝刊にアブドゥルラザク・グルナの本邦初訳『楽園』(粟飯原文子訳、白水社)の書評を書きました。(左の写真は、白水社のXのTLから拝借。)

東京新聞のリレーコラム「海外文学の森へ」にも、エッセイ風にこの『楽園』について書きました。

日経新聞ではもっぱら本の内容紹介と、誰の目線で「アフリカ」を書くかに焦点を当てましたが、東京新聞ではグルナがノーベル財団から受賞の知らせを受けた時のエピソードや、この作家が作品を書くときの姿勢について触れ、結びを次のようにしました。

 ──ネットで視聴できる動画「インド洋の旅」でグルナは、自分が作品を描くことは制圧者により乱暴に要約されてきた「我々の複雑で小さな世界」を再構築する営みだと語る。

 1994年に発表されてその年のブッカー賞最終候補になった『楽園』は、作品として特別実験的な試みをするといった仕掛けなどはありませんが、淡々とした文章のなかにめくるめくスワヒリ社会の多様性が描かれていて、つい、メモをとりながら読みました。

 わたしにとってスワヒリ社会はほとんど未知の世界。いろんな人が耳慣れない名前で登場するため、これは「登場人物一覧」があると便利だなあと思いながら読んだことも書いておきます。

白水社から刊行された『楽園』でスタートしたグルナコレクションは、まだこれから3冊も続くそうです。とっても楽しみ!

2024/02/29

JMクッツェー『その国の奥で』の訳稿、あとがき、送った!

🌸



 全部、ファイルで送って、今日から春です。

🌸🌸🌸

昨日、散歩してたら、花壇の🌷も芽をだしていた。

🌷🌷🌷🌷🌷🌷

早咲きの沈丁花もちらほら咲いて

窓から見える緋寒桜にヒヨドリがたくさん飛んでくる。

閏きさらぎ最後の日。

今年は冬が長かった(主観)、そんなに寒くはなかったけれどネ。


🌸kotoshi

2024/02/19

「アイドルを探せ」と青いラメのセーター

 5年前に「水牛のように」にこんな文章を寄せていた。すっかり忘れていたけれど、母が逝ってもうすぐ10年になるので、ここに再度アップしておきたい。

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難破船にヴァルタン(星人?)



いや、じつはヴァルタン星人の話ではないのだ。

 北海道の田舎町に住んでいた10代のころ、テレビで「シャボン玉ホリデー」が翻案和製ポップスをやっているのをよく観ていた。そのうちオリジナルの曲を聴きたくなって、遠い東京から飛んでくる電波に5球の真空管ラジオのダイヤルを必死で合わせた。木製で、スピーカーの前面が布張りのあれだ(と言ってもほとんどの人にはイメージできないと思うけれど)。ニッポン放送、文化放送、TBSラジオ、etc…1964年ころのことだ。

 そのころ流行った曲が、YOUTUBEを探すと出てくる、出てくる。いつだったかそんな曲をブログにアップしたことがあった。サンレモ音楽祭なんてのが話題だったころのウィルマー・ゴイク「花咲く丘に涙して」とか「花のささやき」とか、60年代末に流行った歌謡曲の「ひどい」歌詞をこてんぱんに批判しながら。
 数日前の深夜に、疲れた耳になつかしの一曲を、とペトゥラ・クラークの「ダウンタウン」の動画をクリックしたら、すぐ下にシルヴィ・ヴァルタンの「アイドルを探せ」が出てきた。おお! 白黒の、粒子のあらい動画だったけれど、これが思いのほかよかったのだ。中学生のころは、あまり聞こえなかったフランス語の歌詞が、耳にちらほら聞こえてきた。1964年のヒット曲か。

 Ce soir, je serai la plus belle pour aller danser⤵︎⤴︎ Danser⤴︎

 ス・ソワール、ジュ・スレ・ラップリュ・ベル・プーラレ・ダンセェエエ。ダンセェエ。
(今夜はあたし、サイコーの美人になって踊りにいくんだ、踊りに)
 
 中2女子の耳には「ラップリュ・ベル」が「ラッキュ・ベル」と聞こえて「?」だったのだけれど。動画のシルヴィちゃんは、あごまでの髪をふわっとカールさせている。でも、ひらひらの衣装は揺れても、髪が揺れない。これには笑った。あのころはスプレーでカチッと固めたのだ。だから一見ふわっとしたカールも、決して揺れない。
 じつはシルヴィ・ヴァルタンのイメージが苦手だった。マリリン・モンローふうに軽く口もとをゆるめて、あごをあげ、上目づかいの目線はどこか眠たげ、そんなショットが多い。男に受ける金髪美女のイメージ、知性は隠す。ああ、もやもやする。鬱陶しい。なにしろ反抗期まっさかりだからね。いまなら、I matter.  I matter eaqually.  Full stop. といえるんだけど。

 シルヴィ・ヴァルタンはブルガリアからの移民だと、Wiki を見て知った。1944年生まれ、8歳でフランスに家族で亡命、17歳でデビュー、20歳でロッカーのジョニー・アリディと結婚、翌年息子誕生、15年後に離婚、ect…。父は外交官でアーチストだったというから、移民とはいえ恵まれた環境で育ち、とことんエンタテナーとして生きてきた人なのね。日本に20回もきてたなんてぜんぜん知らなかった。後年きりっとカメラを直視する目はいいな──現在74歳か。ヴァルタン星人はこの人の名前からとられたって、ホントカナ? 『地球星人』は読んだばかりだけど。

 でも、じつは今回「アイドルを探せ」の初期バージョンを聴いて、ありありと思い出したのはまったく別のことだったのだ。ヴァルタンの声といっしょに浮かんできたのは、屋外のスケートリンクを青いラメ入りセーターで滑っている少女の姿だった。

 北の深雪地帯のスケートリンクは、雪を踏み固めて水をまいて作る、陸上競技場のトラックのような楕円で、まんなかに雪がうず高く積もっている。前夜に降った雪は除雪して、凹凸部分にはホースで水をまいて再度凍らせる。これで、つるつるの町営リンクのできあがり。場内には流行りの音楽が鳴っていた。あのころ、いつ行ってもかかっていたのがこの「アイドルを探せ」だった。だから記憶のなかでこの曲と強く結びついているのは、1964年の冬の、あの町のスケートリンクなのだ。
 青いラメ入りのセーターを着て、毛糸のマフラーに毛糸の帽子、伸縮する布のスキーズボン(スケートズボンとはいわない)、もちろん手袋は太い毛糸で編んだミトンで、まだレザーの手袋はなかった。黒いスケート靴を買ってもらったときは歓喜した。刃の長いスピードスケートで、前屈みの姿勢でエッジをきかせてコーナーワークをやる爽快感は、雪に閉じ込められて過ごす長い厳寒の冬を制圧するサイコーの復讐法だった。

 記憶をたどれば、スケート靴はたぶん母が買ってくれたのだ。ラメ入りのセーターはわたしのリクエストで母が編んでくれたものだ。激しい反抗期の中2女子は、もてあましたエネルギーをポップミュージックとスケート、スキーに投入した。記憶をたどれば、それを可能にしていたのは、女の子がスピードスケートなんかやって、女の子がスキーなんかやって、と周囲の人たちに陰口をたたかれても、気にしなくていい、やりたいことをやりなさい、といって長すぎるスキー板まで買ってくれた母のことばだった。思い出した。
 あのスケートリンクで鳴っていた「アイドルを探せ」が──シルヴィ・ヴァルタンはこの曲に尽きる──難破寸前の記憶の船から当時の母のことばをすくいあげ、救命ボートに乗せてくれたみたいなのだ。これは深夜の音楽救助隊か。Merci beaucoup, la musique!

 母が逝って5年が過ぎた。


(「水牛のように」2019年5月号)

2024/02/09

今日、2月9日はジョン・クッツェーの誕生日

Happy Birthday, John Coetzee!

February 9, 2024

🌺 🌺 🌺 🌺 🌺


  2024年になってから時の過ぎるのがひどく早い。あっという間に1月がすぎて、あっという間に2月も半ば。

 月曜日から雪が降って、少しだけ積もって、一瞬、雪景色!と思ったけれど、それもどんどん溶けて、寒さだけは本格化して、2月9日金曜日、今日は昨日よりちょっと暖かい。

 南半球は真夏です

 1944年2月9日にケープタウンで生まれたジョン・クッツェーさん、84回目の誕生日をやっぱり真夏のオーストラリアで迎えているのでしょうか?

 今年2024年は、作家J・M・クッツェーが誕生して50周年になります。初めての作品『ダスクランズ』が出版されたのが1974年でした。それから半世紀がすぎて、50周年を祝う催しが、4月にケープタウンで、6月にアデレードで開かれる予定。

 いま訳している『その国の奥で』は1977年に出版された第二作ですが、これがファンタジックこの上ないのです。今年半ばには書物の形になって、本屋さんに並ぶはずです。版元は河出書房新社です。がんばりま〜す!💕

 それにしても、自分の書く文章が、日本語だけれど、長年クッツェーを訳しつづけたせいか、どうもガッツリ系になっていく、というか、すでになってしまったなあとつくづく思います。35年間に12作も訳したんだから、よくもわるくも、影響受けないわけがないですよね。😂

 

2024/01/15

ナミビア:ドイツ公共放送によるナミビアでの植民地支配と虐殺の歴史を説明したビデオ

備忘のためにシェア。 DW News @dwnews · 2023年4月22日 Over 100 years ago, the German empire committed genocide in southern Africa. Its effects are still being felt in Namibia today.

2024/01/04

🌹🌹🌹

頌 春

風はひゅうひゅうと冷たいけれど、

午後になると暖かい陽射しが窓からさしこんできました。

 お正月に一族10人が集った食事会で、5歳になったばかりの孫娘から手渡された

ブーケの薄い紫色の薔薇をながめながら、74回目の誕生日を迎えました。

  今年もどうぞよろしくお願いします。

2023/12/31

遅読のすすめ──中村佑子著『わたしが誰かわからない』をゆっくりと読む

  早々に手に入れたのに、なぜか読みはじめるのをためらうものがあって、ずっと机の上に置かれていた本がある。中村佑子著『わたしが誰かわからない──ヤングケアラーを探す旅』(医学書院)だ。

 早く読みたい、という気持ちと、心の準備がまだできていないんじゃないの? とどこからともなく聞こえてくる声のあいだで、ピンと張った糸が糸巻きできりきりと巻きあげられていく。このままだと、弦楽器の弦のようにバツッと切れてしまいそうだ。

 著者の中村佑子さんと斎藤真理子さんのトークが、12月2日に開かれることは知っていた。でも、読まないうちに「話」を聞くのは違うと思った。だから、本を未読のわたしにはそれを聞く勇気がなかった。きっと読んでから、聞いておけばよかったと「後悔」するんだろうな、とほとんど確信に近い気持ちも湧いた。

 それでも、何かが熟して、読むべきときがやってくるのを待つしかなかった。躊躇いが消えて、本にすっと手を伸ばして、きわどいまでに素晴らしいカバー写真を一気にめくる、その瞬間が訪れるのを待つしかなかった。

 自分でも、なんだか大袈裟なことを言っているような気がするけれど、ゆっくり読むこと、じっくり読むこと、絶対に急いで読まないこと、を自分に課したこの躊躇いそのものを、その理由といっしょに考え抜いていくための読書。これは、おそらく、そういう本だ。

 そして、その直感は正しかった。

 昨夜、読みはじめた。昨夜とは12月30日の午後だ。前半は「あ、これは以前読んだお話かな」と思って、初出一覧を見ると、初期バージョンがウェブに掲載されていたことがわかった。ジョルジュ・バタイユが出てくるところも、読んだ記憶がある。

 この本で圧倒的な力をこちらに投げかけてくるのは後半だ。著者がヤングケアラーと呼ばれるようになった人たちに話を聞いていくうちに、つい自分の経験とくらべていることに気づいて、そのことの意味を何度も反芻する場面が出てくる。いわゆる「話を寝かせる」ことをめぐる自己省察。

 この本は小さな鏡面を無数に持つ本である。読んでいて、父や母や兄と「家族として」暮らしたころ体験したシーンと、そのときの感情がありありと蘇ることがたびたびあった。東京に出て短からぬ独り暮らしのあと、自分の新しい家族を作ると決めて結婚し、子育てをした怒涛のトンネル時間の記憶から、忘れていた強い感情がふいに飛び出してきたり。思わぬところへ連れられていく本だ。強い光が当たると、あれはこういうことだったかもしれない、と再認識することになったり(記憶の上書きだ)。

 自己と他者の境界が滲んでいく体験、を扱った、なかなか油断のできない本だけれど、これを書いた中村祐子という人の分析力や自己観察の鋭さに対するわたしの尊敬の念は、前著『マザリング』のときよりさらに強くなった。たとえばこんな文章。

 ──ケアを必要とする精神疾患を抱えた家族は、彼女たちにとって傷であり、刃であり、深い穴である一方で、光であり、憧れであり、生きる意味だった。そして彼/彼女は自分自身であり、一方であまりに他者のようだった。

 少しだけ引用してみたけれど、引用した途端に前後の文脈に支えられて理解される何かが決定的にはがれ落ちてしまうようだ。それはこの著書全体を貫くもっとも柔らかで、もっとも大切な何かと重なるのだけれど。引用すると、部分的なことばによる固定化が先行して「プロセス」が見えにくくなるのだ──と思いながらも、すぐあとにこんなことばが並んでいると、また書き写したくなる。

──自分をとりかこむ輪郭線をいつでも崩れさせ、自己と他者の境界を横断することができる。自己の固着という安心からいつでも離れられる無防備さというものが、ケア的主体の真価だろう。

 そしてジョルジュ・バタイユとドゥルーズ=ガタリの話になる。これはぜひ本文を読んでいただきたい。この本のいちばん「おいしい」ところは7章からなのだ。

 著者の中村佑子の生年は、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェと同じ、わたし自身が「母になる」経験をした年である。27年という短からぬ時間をすっと飛び越え、読み手のところへ真っ直ぐ届けてくれることばを紡ぐたぐいまれな知性と直感力、そして丁寧な分析と熟考。他者の存在への共感を分有し、分有へいたったプロセスを言語化する不断の努力の積み重ねがあればこそ届くのだけれど。ちょっと怖くて、とびきりの瞬間をゆたかに含みもつ本である。

***追記***

──母になったことを後悔しているという本が売れたこともあった。あなたを生んで後悔しているという意味に容易にとれる言葉をタイトルにつけた本を、理由もなく生まれさせられた子どもが手に取る可能性は考えないのだろうか。ベストセラーだと聞いてわたしのなかにうまれた違和感はあまりに強かった。(p208)

 ここで語られている本のタイトルに対する違和感の強さは、「毒親」に匹敵するほどで、わたし自身もその違和感の強さは誰にも負けないと思ったのだった。


2023/12/30

来年は、J・M・クッツェー『その国の奥で/In the Heart of the Country』です

 今年1年を振り返る時期になったけれど、ここには来年のことを書いておこう。

 現在、新訳を進めているのは、長らく絶版だったJ・M・クッツェーの第二作『In the Heart of the Country/その国の奥で』だ。河出書房新社から、来年半ばには刊行される予定。河出書房新社はチママンダ・ンゴズィ・アディーチェの邦訳全作品を出している出版社で、クッツェーの『鉄の時代』が入っている池澤夏樹個人編集の世界文学全集の版元でもある。

 この第二作目はまったくもって一筋縄ではいかない作品だ。ファンタジックでゴシックで、実験的という点では初作『ダスクランズ』をはるかに凌ぐ。とにかくものすごい妄想、また妄想なので、読みこんで日本語にするのは作品との「格闘また格闘」となる。やたら時間がかかる。半ページしか進まない日もある。翻訳を始めたのは何年か前だが、全139ページがまだ終わらない。それでも、あと〇〇ページを残すところまできた。

 この作品の出版をめぐる経緯については、以前このブログでも書いた。ウォルコヴィッツの『生まれつき翻訳』について触れたときだ。(ここで読めます。)クッツェー作品としてこの小説が英米で初めて出版されたのは1977年、南アフリカ本国でバイリンガル版として出版されたのは翌年のことで、『鉄の時代』の年譜にも書いたし、自伝的三部作の年譜にも、『J・M・クッツェーと真実』の詳細な年譜にも、必ず書いた。この作品が出版された経緯は、この作家の作家活動にとって非常に重要な細部だからだ。

 当時の南アフリカにはまだ厳しい検閲制度があり、異人種間の結婚はおろか、性交まで禁止する法律があった。世界から切り離されたような南アフリカ奥地の農場を舞台に、極端に狭い人間関係のなかで、事件は起きる。姦通、泥酔、銃撃、殺人、レイプ、ect. ect. しかしそれが実際に起きたのか、起きなかったのか、事実と妄想の境界がきわめて曖昧なのだ。銃を握るのは三十代の独身女性マグダで、彼女の独白が全編を貫いている。

 日本語訳は原著の出版から約20年後の1997年、スリーエーネットワークの「アフリカ文学叢書」の一冊として出た。それから四半世紀以上が過ぎて、その間、この作家は二度目のブッカー賞を受賞、その3年後にオーストラリアへ移住、直後にノーベル文学賞を受賞した。そんなニュースと相前後して作品が次々と紹介されて、作品や作家の全容がほぼ見えるようになった。

 今年6月に日本語訳が白水社から出版された『ポーランドの人』(それについてはここで)は、非常に無駄のない、端正な、流れるような文体で書かれていた。このレイトスタイルへ至るまでの半世紀におよぶ長い道のり。

 これまでにクッツェーは南アフリカを舞台にした長編小説を8作書いている。出版順にいうと、『ダスクランズ』『その国の奥で』『マイケル・K』『鉄の時代』『少年時代』『恥辱』『青年時代』『サマータイム』で、このうち6冊を拙者訳で読んでいただける。来年は新訳『その国の奥で』が出る予定で全7冊となるはずだ。

 南アフリカの作家クッツェーと出会った者として、あまり知られていな南アフリカの自然や風土、作品舞台となった時代の人間関係の細部をあたうるかぎり潰さずに、なおかつ、含みをもって伝える責任を、これでほぼ果たせるように思う。感慨深い。

 手元にあるこの作品の紙の書籍3冊と、Kindle版1冊のカバー写真をあげておく。左上からペンギン版のペーパーバック(1982)、右へ行ってヴィンテージ版(2004)、スイユ版のフランス語訳(2006)、そしてKindle版スペイン語訳(2013)である。

 いろいろ心が砕けそうになる事件や出来事が起きた2023年だったけれど、それでも今年は藤本和子さんの4冊目の文庫や斎藤真理子さんとの往復書簡集『曇る眼鏡を拭きながら』が出版された年でもあった。

 人生はまだまだ続く。La lutte continue!

 🌹 みなさん、どうぞ良いお年をお迎えください!🌹


2023/11/28

東京新聞夕刊(11月28日)マリーズ・コンデ『料理と人生』について書きました

 今日の東京新聞夕刊にマリーズ・コンデの『料理と人生』(大辻都訳、左右社)について書きました。リレーコラム「海外文学の森へ 69」です。

 すでに、やわらかなアプローチによる書評がいくつも掲載された人気の作品です。コンデ作品では1998年に日本語訳が刊行された『わたしはティチューバ:セイラムの黒人魔女』(風呂本惇子・西井のぶ子訳、新水社)以来の人気かも知れません。ついに、日本語読者もここまで追いついたか、なんてため息まじりの歓声をあげています。

 コラムでは、コンデの最初の自伝的作品『心は泣いたり笑ったり』(青土社)を2002年の暮れに訳した者として、これまでコンデが書いた4冊の自伝的作品を中心に、フランス語文学と奴隷制の歴史というコンテキストで、この作家の仕事を考えてみました。

 カリブ海に浮かぶグアドループという島に生まれ、16歳でパリに留学してからシングルマザーになり、ギニア人俳優と結婚して「憧れの」アフリカに渡り、筆舌に尽くし難い辛酸を舐めたであろうマリーズ・コンデが、ガーナでユダヤ系イギリス人のリチャード・フィルコックスと出会ったのは決定的な気がします。フィルコックスはコンデ作品の英訳者であり、終始献身的なケアラーであり続けて、『料理と人生』の聞き書きをして本にまとめた人です。

 コラムを書いてから気がついたのですが、マリーズ・コンデは、彼女が長年大学で教えたアメリカという国で、仲間に入れてもらえなかったという「アフリカン・アメリカン」の人たちとアフリカ大陸とをつなぐ貴重な立ち位置にあるのではないでしょうか。

 すでに誰かが指摘しているかもしれませんが、大西洋を中心にした地図を眺めながら思うのは、1950-60年代のアフリカ体験を書いたアメリカス出身の作家として、重要な仕事をした作家なんではないかということです。

もちろん、キャリル・フィリップスのような、カリブ海の小島に生まれて生後まもなくイギリスに渡り、学び育った英語で書く作家になって、アフリカへ旅をしてその経験を書いた人もいます。でも日本語圏文学では、そこまで視野に入れて「アフリカ」を見て、さらに「アメリカス」の文学を考える総合的な歴史的視点は、まだまだこれからなんだろうなと思うのです。


***

2023.12.13──東京新聞のコラム、貼っておきます。



2023/11/26

クリスマスのリースを出して飾った

23日の青山ブックセンターでのイベントが無事に終わり、ようやく、ささやかなクリスマスのリースを出して飾った。

 斎藤真理子さんとの往復書簡集『曇る眼鏡を拭きながら』(集英社)には大勢の方が来てくださって嬉しかった。どうもありがとうございました。いろいろ質問も出て、あっという間に時間が過ぎました。

 友情出演してくれた「塩の会」のメンバーにも感謝、イベントの準備をしてくれた編集者、書店の方々、おせわになりました。Muchas gracias!

 写真をアップしたクリスマスのリース、一つは80年代から我が家にある古典的な、というか、素朴なリースに自分で集めた草の実を絡めたもの。もう一つは数年前にやってきた、雪をかぶったような、ちょっとおしゃれなリース。いつものように、一つはリビングの天井近くの壁に、もう一つは玄関ドアの内側に飾った。

2023/11/18

11月23日、「公開 塩の会」が青山ブックセンターで開かれます

 斎藤真理子さんとくぼたのぞみの往復書簡『曇る眼鏡を拭きながら』(集英社)の刊行を記念したイベント「公開 塩の会」が、表参道の青山ブックセンターで開かれます。この書簡集には「藤本和子」という名前がほとんど毎回出てきます。それで「塩の会」の面々が出てくれることになりました。

 23日、祝日の午後1時半から。 

 登壇するのは、八巻美恵、岸本佐知子、斎藤真理子、くぼたのぞみ、です。

 申し込みはこちら。



『塩を食う女たち』など、藤本和子の著作を復刊させるために集まった女たちの会だったので、そのタイトルから「塩を食う女たちの会」とか「塩食い会」とか「塩の会」とか、その時々で勝手気ままにいろんな呼び方をしながら飲み会を開いて、知恵を出し合ってきました。

 これまで4冊が文庫化されました。

 この辺で一区切り、というわけでもないのですが(だって飲み会はまだまだ続きそうですから)とにかく、ちょっと振り返ってみるか、ぜんぜん振り返ったりしないか、ひたすらだだーっと前へ進むのか、何が飛び出すかちょっと想像がつかないイベントですが。。。

 よかったら、ぜひ!

 申し込みはこちらです。