Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2014/12/19

ジョン・クッツェーがチェルシー・マニングに宛てた誕生日メッセージ

一昨日の12月17日はチェルシー・マニングの27回目の誕生日だった。

ガーディアンにこんな記事が載った。スラヴォイ・ジジェクをはじめとする各界の面々が書いたマニングあての誕生日メッセージ。そこにJ・M・クッツェーの名前がなければ、おそらく、そのまま素通りしてしまったかもしれない。

だいたいチェルシー・マニングという人物が何者なのかさえ、わたしは咄嗟に理解できなかった。それが2010年に米国の機密情報──アフガン戦争やイラク戦争で非武装の人たちを米の戦闘機が攻撃しているビデオ等等──をウィキリークにもらした内部告発者、ブラッドリー・マニングであり、この8月、35年の禁固刑を受けたその日に、自分はこれから女性として生きるという宣言をした若者であることを知ったのは、あれこれネットで過去の記事等を調べた結果わかったことだ。それでようやく、ぼんやり思い出した。ああ、あの事件の・・・と。

 スノーデンなら知っている。彼の名が一躍、世界をかけめぐったのは、これも調べて確認したのだが、2013年6月、一年前のことだった。2010年と2013年の差異。ここには決定的ななにかがあると言わざるをえない。日本国内においても、2011年3月11日以前のことは、遠い過去のように思えるのだから。これでどうやら、自分は世界の情勢について、ごく限られた、まだらな情報しかもっていないことが実証されてしまった・・・ということか。


さて、話題にしたいのはそんなことじゃないのだ。ジョン・クッツェーがチェルシー・マニングにあてたバースデイ・メッセージのことなのだ。

 わたしはこれを読んで、しばらく、あらゆるものから遠ざかって、ことばのひとつひとつを噛みしめながら沈黙したくなった。ことばが、ことばそのものが、これほど澄明で、正直で、真摯な手紙を、わたしは知らない。

 深々と心にしみる。ジョン・クッツェーという人が、70年代以降、ケープタウンに住み暮らした時間がどのような政治的、社会的、法律的制約のもとで生きられたものであったか、獄中にある政治囚たちに(ネルソン・マンデラを含む)どのような思いを抱きながら日々くらしていたか、あらためて思いをはせた。