Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2008/04/16

好きな本(5)『アフリカン・アメリカン文化の誕生』その2

 このシドニー・ミンツ著・藤本和子編訳『アフリカン・アメリカン文化の誕生──カリブ海域黒人の生きるための闘い』(岩波書店、2000刊)は藤本和子氏が聞き手となって、その師である人類学者シドニー・ミンツが語る、いわゆる聞き書きだ。だから、示唆に富んだ深い内容が、とても読みやすく読者に伝わってくる。
 プロローグから少し引用しよう。
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ミンツ──「まずアフリカン・アメリカン文化という語は南北アメリカ大陸とカリブ海諸島など、アメリカス全域におけるアフリカン・アメリカン文化を指すことを、読者のためにはっきりさせておこう。アメリカ合衆国のことだけだと解釈されることがよくあるからね…西半球のいわゆる「新世界」へ、つまりヨーロッパから見ての「新世界」へ強制連行されてきて奴隷という身分にされたアフリカの人びととその子孫が、アフリカン・アメリカン文化という、それまでは存在しなかった全くあたらしい文化を生みだしたことの根底にあるのはなにかということ。

 ひと言でいえば、根底にあったのは、人間として生きのびる、という強い意志だった。人間は生きる意味がわからなくては、生きていけない。生きる意味を失った集団が死に絶えたという例さえあったものね。
 人間として生きのびてみせたこと、それ自体が抵抗だった。生きのびることそのものが抵抗だった。そのためには、創造力と偉大な人間性が必要とされた。」(プロローグより)

 この最後の部分を読みながらわたしは、咄嗟にトニ・モリスンの小説『ビラヴド』の一場面を思い出した。追っ手に発見された逃亡奴隷である主人公が、捕われる直前に自分の赤ん坊を殺す場面だ。モリスンは、実際に起きたある事件を報道する写真を見て、この作品を書くことを思いついたという。写真にうつった女性の表情がじつに晴れやかだったのだ。元奴隷の女性が自分の赤ん坊を殺し、その行為になんらやましさを覚えない、そのことの意味を理解する手がかりが、この文には含まれているのではないか、と思ったのだ。(つづく